臨済宗妙心寺派
瑞岸寺のお参りの記録一覧
1534年安国寺の末寺として、江馬九右衛門を開基、信海和尚を開山として建立された。
本尊は江馬氏代々の妻たちに伝えられた念持仏の聖観音。
江馬氏は飛騨国北部を支配した戦国大名で、瑞岸寺は菩提寺であった。
本堂
鐘楼
【飛騨國 古刹巡り】
瑞岸寺(ずいがんじ)は、岐阜県飛騨市神岡町殿にある臨済宗妙心寺派の寺院。山号は殿秀山。本尊は聖観音坐像。飛び地地仏堂である小萱薬師堂は、国指定の重要文化財。
創建は戦国時代の1534年、飛騨国北部を支配した高原諏訪城主・江馬時正(江馬氏13代)により太平山安国寺(現高山市国府町西門前)の末寺として開山。元々は江馬氏初代輝経が母益世姫の持念仏である聖観世音菩薩を安置した一宇を建立し菩提寺としたのが始まり。江馬氏没落後は高山の宗猷寺末となり、明治時代に本山妙心寺の直末となった。
瑞岸寺の飛地境内にある小萱薬師堂は、正式名称を「瑞岸寺安楽院薬師堂」といい、室町時代初期建立の方三間の仏堂で、入母屋造こけら葺。鎌倉時代後期から室町時代初期の建築の特徴を持つ。元々は小萱の白山神社の神宮寺であった医王山安楽院の薬師堂であったが、寺は廃絶して薬師堂のみが残り、これを瑞岸寺が管理するようになった。
当堂宇は、JR高山本線・杉崎駅の東北東13km、道のり18kmのなだらかな丘陵地帯にある。周辺は耕作地に囲まれたまばらに住宅が立つ集落のような場所。公道沿いのきれいに整地された公園のような区画にポツンと薬師堂だけが建っている。
今回は、当堂宇が国指定の重要文化財であることから参拝することに。(瑞岸寺自体には参拝しなかった。)参拝時は平日の午後で、自分たち以外には参拝者はいなかった。
公道から見た<薬師堂>全景。きれいに整地された敷地に、見るからに古い、いかにも由緒正しそうな建造物がポツンと建っている。
公道の反対側の景色はこんな感じ。緑が目に優しい、のんびりとした山村の風景。
<薬師堂>正面。扁額や表札などはなくシンプルな外観。当日はきれいな花が供えてあった。
<薬師堂>内部。厨子の中には薬師如来像が安置されているのかな。
じっくり参拝していると、ひと気がないのに何かに見られている気配を感じた。
足元を見ると、参拝順番待ちをしていたのはこちらのカエルちゃん。(^_^;)
<薬師堂>右側前方からの眺め。
<薬師堂>右側後<薬師堂>右側前方からの眺め。方からの眺め。
<薬師堂>の右奥の一段高い場所には<白山神社>がある。
<薬師堂>左側後方からの眺め。
<薬師堂>の左側後方少し離れたところにある<庚申堂>と石碑群。
庚申堂の横には、当敷地の出入口があって、「重要文化財 薬師堂」と書かれた石柱と重要文化財の看板がある。(^▽^)/
飛騨三十三観音霊場巡り
街中にある船津円城寺から、車で5分くらいの所にある 臨済宗、妙心寺派の寺院、27番札所 瑞巌寺にお参りしました。
駐車場がわからなかったので、直ぐ近くにある道の駅 スカイドームにとめて5分ぐらいあるきました。
(参道を登ったら数台の駐車スペースがありました)👌
本尊は聖観世音菩薩
1392年に開基江馬氏、開山信海和尚で高山市国府にある安国寺の末寺として建立されました。近くにある小萱薬師堂は、国の重要文化財に指定され、瑞巌寺の飛び持仏堂であり同寺が管理しています
また、毎年3月1日は星祭の各人の運勢の星を司る北辰妙見大菩薩に開運・厄除け・心願の成就などを祈願する行事があります。
参道 傾斜の緩い坂道を少し登ります
手水
鐘楼堂
しあわせ地蔵 ほっこりと幸せな気持ちになります
本堂
御朱印
最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。
ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ
3
0