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国分尼寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2024年11月12日(火)
参拝:2024年11月吉日
岐阜県高山市の寺院巡りの2寺目は、高山市中心部から北へ約12km行った高山市国府町(平成の大合併以前は吉城郡国府町で、高山市に吸収合併で高山市国府町となった)に在る建正山 国分尼寺です。
臨済宗妙心寺派で、本尊は阿弥陀如来。
この本尊・阿弥陀如来坐像は県指定文化財です。
国分尼寺と聞くと、かなりの歴史があって壮大な伽藍を思い浮かべますが、お堂というか建物が1棟あるのみで無住。
拝観を希望する場合は、こくふ観光協会に連絡して予約する必要があります。
こちらの阿弥陀如来は、古来から「木曽垣内(かいと)の大仏」と呼ばれ、村人から信仰されてきた。昭和30年代に宗教法人化する際に寺名を国分尼寺にしたとの事です。
よって、聖武天皇の詔により創建された国分尼寺とは直接的には関係無いと思います。そういう国分寺・国分尼寺は多々あります。飛騨の国分尼寺はJR高山駅の西側(国分寺の西側)に在ったと調査結果が出ています。(全国的に国分尼寺は位置や構造等わかっていない例が多い。)
約束時刻より10分位早く着きましたが、既に係の方が待っていらっしゃいました。(わさざわざ有難うございます。 実は予約する際、当日は説明できる方が不在との事で鍵を開けるのみで説明は出来ないが良いかと聞かれましたが、勿論OKですと2つ返事。)
既にお堂の扉は開けられていて、早速堂内に上がらせて頂きました。12畳位の畳敷きの下陣があって、その先に祭壇と阿弥陀如来坐像が安置されていました。「木曽垣内の大仏」や「国府の大仏」と呼ばれるだけの事はあって大きいです。高さは約177cmあります。(台座は1m弱)
頭部は結構欠損しています。頭部、胸部、腹部は造立当時のもの(カヤ材)ですが、両肩から腕、手や腿、足の脚部は1866年に修復されたもの(ヒノキ材)です。(色が違うのでわかり易い)
よって全体的なバランスがイマイチ(頭でっかち)で華奢に見えます。横から見ると厚みがないのも気になるところ。造立は平安時代中期頃と考えられています。
拝観料は志納、御朱印はありませんでした。
臨済宗妙心寺派で、本尊は阿弥陀如来。
この本尊・阿弥陀如来坐像は県指定文化財です。
国分尼寺と聞くと、かなりの歴史があって壮大な伽藍を思い浮かべますが、お堂というか建物が1棟あるのみで無住。
拝観を希望する場合は、こくふ観光協会に連絡して予約する必要があります。
こちらの阿弥陀如来は、古来から「木曽垣内(かいと)の大仏」と呼ばれ、村人から信仰されてきた。昭和30年代に宗教法人化する際に寺名を国分尼寺にしたとの事です。
よって、聖武天皇の詔により創建された国分尼寺とは直接的には関係無いと思います。そういう国分寺・国分尼寺は多々あります。飛騨の国分尼寺はJR高山駅の西側(国分寺の西側)に在ったと調査結果が出ています。(全国的に国分尼寺は位置や構造等わかっていない例が多い。)
約束時刻より10分位早く着きましたが、既に係の方が待っていらっしゃいました。(わさざわざ有難うございます。 実は予約する際、当日は説明できる方が不在との事で鍵を開けるのみで説明は出来ないが良いかと聞かれましたが、勿論OKですと2つ返事。)
既にお堂の扉は開けられていて、早速堂内に上がらせて頂きました。12畳位の畳敷きの下陣があって、その先に祭壇と阿弥陀如来坐像が安置されていました。「木曽垣内の大仏」や「国府の大仏」と呼ばれるだけの事はあって大きいです。高さは約177cmあります。(台座は1m弱)
頭部は結構欠損しています。頭部、胸部、腹部は造立当時のもの(カヤ材)ですが、両肩から腕、手や腿、足の脚部は1866年に修復されたもの(ヒノキ材)です。(色が違うのでわかり易い)
よって全体的なバランスがイマイチ(頭でっかち)で華奢に見えます。横から見ると厚みがないのも気になるところ。造立は平安時代中期頃と考えられています。
拝観料は志納、御朱印はありませんでした。
すてき
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nomuten1059投稿
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