くまのじんじゃ
熊野神社のお参りの記録一覧
岐阜県高山市の安国寺を参拝した際、経蔵の裏から建物が見えたが何なのかわからず、経蔵の説明の際にお聞きしたら「安国寺の鎮守社であった熊野神社。現在は神仏分離で安国寺の管理外。本殿は重文だが、覆いのため何も見えない。」との事でした。
折角ですから安国寺参拝後にこちらも参拝しました。
祭神は、家津御子神(ケツミコノカミ)。
伝えによれば、室町時代に安国寺の守り神として安国寺を開山した瑞巖和尚が勧請したとの事です。
安国寺の経蔵の裏山に墓地があり、墓地の横を少し上がって左上方に在りました。
鳥居の前まで行くと細い舗装路が付いていましたので、そちらが現在の参道かもしれません。
鳥居をくぐれば直ぐに拝殿。拝殿前で手を合わせてから、拝殿内部を覗きましたが本殿は全く見えませんでした。(拝殿奥の格子戸の更に奥に本殿がある模様)
社務所は無く、全くの無人でしたので御朱印は頂いておりません。
社殿を手前から
手水
?社
拝殿
拝殿内部
本殿だが覆いでわからず
【飛騨國 古社巡り】
熊野神社(くまの~)は、岐阜県高山市国府町西門前にある神社。安国寺の鎮守社。本殿は国指定の重要文化財。
創建は室町時代の1347年前後、安国寺を開山した瑞巌和尚が勧請したとされる。安国寺は、足利尊氏および直義が日本各地に建立した安国寺の一つ。最盛期には七堂伽藍と9塔頭を有する大刹であったが、戦国時代に、高山に拠点を持つ上杉派の三木氏と、国分寺に拠点を持つ武田派の広瀬氏の抗争に巻き込まれ、天正年間(1532年~1555年)と永禄年間(1558年~1570年)の二度にわたり兵火に遭ったが、当社は奇跡的に焼失を逃れた。
当社は、JR高山本線・飛騨国府駅の東北東3kmの山裾の南斜面の小高い場所にある。地図上は安国寺の北側数十mのところにあるのだが、安国寺から北向きに登る道には通じておらず、南側に一度下って低地の一般道に出て、西に少し行ったところで再び北向の道を登ったところやっとたどり着くことができた。特に看板がなく、カーナビも使えないため、初めて参拝する場合は大変かも。境内入口の日本遺産の説明板が唯一の目印になっている。境内は広くはないものの、鳥居、社号標、狛犬、参道、社殿と一通り揃っている。
今回は、本殿が国指定の重要文化財であるため参拝することに。参拝時は休日の午後で、自分たち以外には他に参拝者はいなかった。
こちらが国指定の重要文化財である当社の<本殿>。室町時代の建立で、三間社見棚造、こけら葺。飛騨の中世文化の特徴を示す、特異で珍しい様式とのこと。
当社の境内入口には、鳥居も社号標もなく、看板もないが、日本遺産の説明板を発見してやっとたどり着いたことを確信できる(写真は日本遺産の説明板より)。
細くて急な登り坂の行き止まりに日本遺産の説明板と貯水池があって、そこから奥が当社の境内。
入口の看板には「クマ出没注意」とあり、気を引き締めて参拝に向かう...(^_^;)
神社らしい構造物が見えてきたのでひと安心。(o^―^o)
当社は、国分町西門前地区の産土神とのことなので、サイズ感含め村社のイメージ。
本殿に向かって正面に立つ。国指定の重要文化財の看板が誇らしげ。
階段を数段登って左側にある<手水舎>。
参道右側には、大きな<社号標>。
参道左側の<狛犬>。角があって耳が立ち、眼がクリクリで髭が長い、けっこう個性的な表情。
参道右側の<狛犬>。あれ、左側とは作者が違うのかな?こちらはかなり一般的な風貌。
いよいよ<鳥居>をくぐる。
鳥居をくぐって左手にある建物。表札な無いけど、境内社かな?
<拝殿>全景。あまり神社っぽくない外観。一瞬神明造かと思ったが、千木も鰹木もないので違うし。屋根形状は雪国仕様かな。
<拝殿>内部。
拝殿後ろの<本殿>。この覆屋の中に、国重文の本殿がある(はず)。
最後に、斜めから<社殿>全景。
境内入口から南側の眺め。ここまでの道のりに看板も何もないところからすると、村人以外に来る人はほとんどいないのかな。(^▽^)/
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