ひだとうしょうぐう
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楽しみ方飛騨東照宮のお参りの記録(1回目)
投稿日:2025年07月24日(木) 14時21分11秒
参拝:2025年7月吉日
市街中心部から少し離れます。この辺り迄来ると観光客は見かけません。(自分も観光客でした。)そこそこの規模の神社ですが、神職は常駐していないようです。高山藩3代藩主金森重頼が江戸初期元和二年(1616)に高山城内に徳川家康を祀り、元和五年(1619)に東照大権現社を勧請したのが始まりです。寛永五年(1628)に現在地近くに遷座。6代藩主頼旹が社殿を改修し松泰寺を創建し別当としました。暫くすると羽州上ノ山に金森藩(高山藩)が国替えになり、それと共に東照宮は上ノ山に遷座しました。社地は御宮跡と呼ばれ別当時であった松泰寺のみが残りました。後に金山藩は近くの郡上八幡に国替えとなりますが、いわゆる宝暦騒動で藩はお取り潰しとなってしまいます、金山藩から離れ、天領となった高山に戻った東照宮は飢饉等によって荒廃していったようです。時代はゆとりを持ち華やかな文化が華開いた化政時代に入り、本日何度か目にしているときの郡代芝与一右衛門や町の有力者の手により現在地に社殿等が造営されました。東照宮は大方大名家によって勧請されますが、国替えによって遷座することもあるようです。前橋の東照宮も同様でした。しかしお家断絶により荒廃するのは氏子を持たない崇敬神社の宿命でしょう。後に金山家は旗本として再興を許されています。境内社の金龍神社は明治初期によくある旧藩主を祀ったものではなく、先の芝郡代が東照宮境内に祀ったことは起源とされていますが、芝郡代と金森長近公とは何の所縁もありません。高山の礎を築いた藩祖に敬意を表したのでしょうか?

鳥居

燈籠

石段下の拝所

昭和二十七年(1952)奉納の狛犬



手水舎

手水鉢

燈籠

神橋(通行不可)文政元年(1818)の東照宮本殿建築時のものと考えられる


神池

石段 文政元年(1818)の東照宮本殿建築時のものと考えられる

燈籠

安政四年(1857)奉納の燈籠

寄進者 飛騨郡代 福王兵衛藤原信義(第22代飛騨郡代 1852~1858)


石段上から

拝所

昭和六十二年(1987)奉納の狛犬





唐門(県指定文化財) 透塀と本殿と共に文化十五年(1818)造営

透塀


本殿説明板

拝殿 本殿拝所より左へ進み完全に独立して建てられています。本殿と離れた位置にある為、現在は神楽殿として使用されているようです

境内地図

鳥居

文政七年(1824)建立の旧本地堂(市指定文化財)郡代の芝正盛が願主になり建造


扁額「朝日稲荷宮」

扁額「菅公廟」 「豊宇気社」

旧東照宮本地堂説明板

乃木大正碑

慶応三年(1867)奉納の燈籠


境内社鳥居

境内社 金龍神社 神門は、旧松泰寺の前庭にあった江戸時代の門で、昭和十八年(1943)に現在地へ移築 御祭神:金森長近公

明治十一年(1878)本殿は明治十一年(1878)建築の東照宮に合祀された旧山王宮建物を昭和十七(1932)移築



社務所前に書き置きの御朱印が用意されています
すてき
投稿者のプロフィール

サンダー2353投稿
2020年2月に九州旅行の折に熊本城へ行き、復興のつもりで始めました。そんな中、コロナウィルスが流行し100日参りをして病気平癒を願って参拝していましたが、さすがに外出できず途中で断念。 落ち...もっと読む
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