えいほうじ
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永保寺の御朱印・御朱印帳
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参拝時間 | 入山可能時間 7:00~17:00
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電話番号 | 0572-22-0351 |
その他の巡礼の情報
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【岐阜県 多治見市】(えいほじ)☆お奨め霊場☆
岐阜県の南部「陶器の町多治見市」です。愛知県との境を持つ地域です。
今回参拝に訪れたのは冬の2月ですが、あえて人気がない季節を選びました。
駐車場より「中央本線」の踏切を越え、境内に進みます。
国宝の「開山堂」「観音堂」も素晴らしいのですが、なんといっても「夢窓国師」作の庭園は自分の知る限り「№1」と思っております。
臨済宗南禅寺派らしく常に手入れが行き届き、訪れる方々を別世界に誘います。
五木寛之さんも「百寺巡礼」の中で書かれたように「俗な私」には、訪れるの憚れる寺院です。
臥龍池と無際橋
観音堂(国宝):桧皮葺の「反り」がなんとも美しい
開山堂「僊壺堂」(国宝)
「無際橋」:落書きが痛々しい
夢窓国師作の庭園
「臥龍池(心字池)」
鐘楼
【虎渓山(こけいざん)永保寺(えいほうじ)】
本尊:聖観世音菩薩
宗派:臨済宗南禅寺派
開基:夢窓疎石(むそうそせき)(開創)元翁本元(げんのうほうげん)(開山)
~百寺巡礼:五木寛之氏が選んだ百の名刹 第40番~
永保寺は、漂泊の禅僧、夢窓疎石が開創した寺とされる。1313(正和2)年、夢窓疎石は弟子をひとり伴って甲斐(山梨県)から駿河(静岡県)へ行き、さらに遠江(静岡県)を通って美濃(岐阜県)につき、そして現在の永保寺があるあたりにやってきた。そこで疎石は山と川と奇岩が織りなす美しい場所を発見した。その景観に魅せられて、彼は中国廬山の虎渓にちなんで「虎渓山」と命名し、「古渓」と呼ぶ庵を結んだ。これが永保寺のはじまりで、このとき、同行していた弟子が、永保寺の開山となる元翁本元(仏徳禅師)だったという。永保寺は、疎石が30代の終わりごろ開いた寺で、疎石は、わずか3年ほどでこの地を去っている。
~『百寺巡礼 第四巻 滋賀・東海』五木寛之(講談社、2004)~
永保寺へは、五木氏と同じように虎渓公園側から西参道を下り入りました。途中、長瀬山の上のほうに疎石が坐禅を組み瞑想したといわれている坐禅石があるらしいのですが、案内板はありませんでした。聞いてみると、危険で今は手入れしていなくて行けないとのことでした。永保寺の全体が一望できると思っていたので残念でありましたが、それにしても自然の地形を生かした庭園がすばらしい立派なお寺でした。
【六角堂・梵音巌】
【西参道入口】
【西参道】
【観音像】
西国18番六角堂 頂法寺。西国33所の石仏が配置されています。
【境内】
~すれ違う人はほとんどいない。その静寂を破って川の流れる音が聞こえてきた。土岐川である。せせらぎに耳を澄ませながら石段をおりていくと、ぱっと視界が開ける。明るい陽射しのなかで、目の前に夢窓疎石がつくったという永保寺の庭園が現れた。お堂の前に広がる大きな池と、そこにかかる太鼓橋。そして、背後に見える断崖の奇岩。~
【石碑】
永保寺は、1339(暦応2)年に北朝の光明天皇勅願所とされ、経済的基盤が確立するとともに、開山元翁本元の門派が一流相続する独立的存在の門徒寺とされています。
【六角堂・観音堂】
【六角堂・梵音巌】
【無際橋】
~池には「臥竜池」という名前がつけられている。その中央にかかっている橋は「無際橋」という。ゆるやかなカーブを描いていて美しい。~
【無際橋】
~無際橋の中央に立ってみた。東には土岐川の渓流が流れ、西には長瀬山の岩壁が迫っている。橋の正面が北で、そこには観音堂がある。その左横には「梵音巌」という断崖がごつごつした岩肌を見せていて、細い滝が流れ落ちている。~
【無際橋から見る僧堂・坐禅堂】
【観音堂】
国宝。
【方丈】
【庫裡】
【大銀杏】
【無際橋】
【開山堂案内石】
【開山堂】
【開山堂記念碑】
【開山堂】
国宝。
【鐘楼】
【黒門】
【土岐川】
【御朱印】
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