おやだじんじゃ
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大矢田神社の御由緒・歴史
ご祭神 | 《主》建速須佐之男命,《配》天若日子命,阿遅志貴高日子根命 | |
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創建時代 | 紀元前290年(孝霊天皇元年~215年) | |
ご由緒 | 当社は美濃市大矢田、天王山の麓楓谷の鎮座である。上古人皇第7代皇霊天皇の御代(約2270年前)の創祀である。元正天皇の養老2年(718)僧泰澄は篤く当社を尊仰し、天王山一山を開基し、広大な堂塔伽藍を建立して、天王山禅定寺と称し聖武天皇の御信仰も篤く頗る盛観を極めた。社頭を牛頭天王社と称した。天王山は当地の豪族後藤勘左衛門城主の城郭の有った所で標高537メートルの霊山である。後奈良天皇の弘治2年(1556)兵乱起こり類火に罹って全山焼失した、正町天皇の永禄2年(1559)牛頭天王社の仮殿を建設し、その後百有余年霊元天皇の寛文12年(1672)釈迦堂跡に現在の本殿が再建された。明治維新に到り、神仏分離の大命によりすべての仏堂仏像を廃し、明治3年には牛頭天王社を大矢田神社と改称した。 | |
歴史 | 歴史[編集] 創建は孝霊天皇の時代という。以下は社伝による。 深山に悪竜が棲み付き、困った里人が喪山の天若日子廟所(現・喪山天神社)に加護を祈ったところ、建速須佐之男命を祀るよう夢告があった。 その通り勧請を行うと、建速須佐之男命が現れ、悪竜を退治してくれた。平和を取り戻した里人は、建速須佐之男命と天若日子命を祀る祠を建てた。 716年(養老2年)、泰澄大師は、この地(天王山)一帯を開基。天王山禅定寺号した。祠はその一部となり、牛頭天王として習合される。 禅定寺は7坊を有したが、1556年(弘治2年)に戦火で焼失。その後、極楽坊と常泉坊の2坊のみ再興された。 1870年(明治3年)、神仏...Wikipediaで続きを読む | |
引用元情報 | 「大矢田神社」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%A4%A7%E7%9F%A2%E7%94%B0%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=102529883 |
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