れんげぶじ
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楽しみ方蓮華峯寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2026年05月10日(日) 10時48分59秒
参拝:2026年5月吉日
「中濃八十八霊場」第46番札所です。
959年に高賀神社に行基作と伝わる大日如来が納められたのが寺としての歴史の始まりと伝わりますが、現在残る胎蔵界大日如来像は平安時代末期の作と見られています。
全盛期には七堂伽藍を備え、多くの子院を持つ大寺院でしたが、1369年に洪水により大きな被害を受けています。
鎌倉時代後期になると虚空蔵菩薩を崇拝する『高賀山信仰』が成立し、多くの修験者が訪れる聖地となりました。
高賀山信仰における中心的な社(高賀山六社)の一社である高賀神社の別当寺として栄えました。
江戸時代前期に円空が当寺を何度も訪れ、虚空蔵菩薩像や円空最後の仏像とされる歓喜天像を納めています。
江戸時代中期に美濃西国三十三が成立した際には2番札所となりました。
明治時代に至ると廃仏毀釈を逃れるため、高賀神社境内から麓側にあった観音堂へ諸仏像が移されています。その後蓮華峯寺は無住となり仏像が管理できなくなり盗難も発生したため、1973年に仏像群が高賀神社の収蔵庫へ移されました。
御朱印は高賀神社で頂きました✨️
959年に高賀神社に行基作と伝わる大日如来が納められたのが寺としての歴史の始まりと伝わりますが、現在残る胎蔵界大日如来像は平安時代末期の作と見られています。
全盛期には七堂伽藍を備え、多くの子院を持つ大寺院でしたが、1369年に洪水により大きな被害を受けています。
鎌倉時代後期になると虚空蔵菩薩を崇拝する『高賀山信仰』が成立し、多くの修験者が訪れる聖地となりました。
高賀山信仰における中心的な社(高賀山六社)の一社である高賀神社の別当寺として栄えました。
江戸時代前期に円空が当寺を何度も訪れ、虚空蔵菩薩像や円空最後の仏像とされる歓喜天像を納めています。
江戸時代中期に美濃西国三十三が成立した際には2番札所となりました。
明治時代に至ると廃仏毀釈を逃れるため、高賀神社境内から麓側にあった観音堂へ諸仏像が移されています。その後蓮華峯寺は無住となり仏像が管理できなくなり盗難も発生したため、1973年に仏像群が高賀神社の収蔵庫へ移されました。
御朱印は高賀神社で頂きました✨️
すてき
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