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願興寺のお参りの記録(1回目)
岐阜県御嵩駅

投稿日:2025年08月04日(月) 16時53分33秒
参拝:2025年7月吉日
815年 最澄が東国巡錫の折に、この地を通った際に、疫病に苦しむ者が多いことを憐み、この地に布施屋(施楽院)を開創し薬師如来像を祀ったのが起源とされます。

境内からは最澄の時代より100年以上前の白鳳期の古瓦が出土しており、古代創建の前身寺院(願興寺廃寺)が存在しました。

996年、庵の西南にある池が金色を放ち、俄に風雨が激しくなり数千の小蟹の背に乗った薬師如来像が現出し、それ以来、蟹薬師とも可児大寺とも呼ばれるようになりました。

纐纈康能は良心に大般若波羅蜜多経600巻を、法弟の良全と共に、1233年4月より書写を始め、4年3ヶ月を経て1237年6月に終わっていますが、1572年7月4日、武田氏の重臣であった秋山虎繁の軍勢が可児郡に押し寄せ願興寺に放火したため全焼、消失しました。

この時に、愚渓寺4世の三芝等惟は衆徒を20~30人引き連れて願興寺に赴き、本尊や諸尊、創建以来の古文書を運び出しました。

2度目の焼失後の1575年与次郎という百姓の発起により再興に取りかかりましたが、工事の最後には力尽き屋根は板葺きで、とりあえず諸仏を入れ、体裁を整えたという相当の困難が伴ったようですが、1581年に再興されました。

笹の才蔵と呼ばれた可児吉長が幼少期を過ごしました。

お留守で御朱印は頂けませんでした💦
願興寺(岐阜県)
願興寺(岐阜県)
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すてき

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