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楽しみ方求浄庵のお参りの記録(1回目)
投稿日:2025年08月17日(日) 23時36分58秒
参拝:2025年8月吉日
金戒光明寺末の浄土宗寺院で、「西美濃三十三」第22番札所です。
1533年、土岐氏の家臣だった大垣領主・宮川安定が、祖母の清浄庵心照が彫刻した観世音菩薩像を本尊として、帰依していた学全法師を招いて開きました。
1576年、火災のため灰燼に帰しましたが、宮川氏に代わって城主となった氏家卜全の発願により、1569年に復興されました。
しかし、1584年に今度は大風により倒壊し、再興の目途も立たなかったために本尊や什器は庄屋の下で保管されることとなりました。
年月を経るうちに寺ゆかりの品々は失われ、1824年に河毛儀左衛門が再興を志して本尊を得て堂宇を整え、その娘を尼僧として住まわせました。
その後、尼寺として地域の信仰を集めていましたが、2017年からは無住となり、近隣の住民により護持されています。
本尊の如意輪観音像は1812年に杭瀬川に流れ着いた首に体躯を補ったものとされ、首から上の病に験を示すようです。
午前8時~10時までしか社務所が開いていません。
駐車場はなく、側道に置いて急いで行きました💦🅿️
1533年、土岐氏の家臣だった大垣領主・宮川安定が、祖母の清浄庵心照が彫刻した観世音菩薩像を本尊として、帰依していた学全法師を招いて開きました。
1576年、火災のため灰燼に帰しましたが、宮川氏に代わって城主となった氏家卜全の発願により、1569年に復興されました。
しかし、1584年に今度は大風により倒壊し、再興の目途も立たなかったために本尊や什器は庄屋の下で保管されることとなりました。
年月を経るうちに寺ゆかりの品々は失われ、1824年に河毛儀左衛門が再興を志して本尊を得て堂宇を整え、その娘を尼僧として住まわせました。
その後、尼寺として地域の信仰を集めていましたが、2017年からは無住となり、近隣の住民により護持されています。
本尊の如意輪観音像は1812年に杭瀬川に流れ着いた首に体躯を補ったものとされ、首から上の病に験を示すようです。
午前8時~10時までしか社務所が開いていません。
駐車場はなく、側道に置いて急いで行きました💦🅿️
すてき
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