けごんじ
華厳寺へのアクセス・駐車場
住所 | 岐阜県揖斐郡揖斐川町谷汲徳積23 |
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行き方 | JR東海道本線大垣駅→樽見鉄道(約40分)谷汲口駅下車→名阪近鉄バス・揖斐川町コミュニティバス(谷汲山行き・約10分)谷汲山下車
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駐車場 | あり(町営駐車場700台) |
近くの駅 | ◼︎樽見鉄道樽見 ◼︎樽見鉄道樽見 ◼︎樽見鉄道樽見 Googleマップ等で出発地からのアクセスをご確認ください。 情報提供: HeartRails Express |
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参拝時間 | 拝観時間 8:00 ~ 17:00 納経時間 8:00 ~ 16:30 御祈祷・供養 9:00 ~ 15:30 |
電話番号 | 0585-55-2033 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | http://www.kegonji.or.jp/ |
駐車場に関する投稿
【西国三十三所巡り】
華厳寺(けごんじ)は、岐阜県揖斐郡揖斐川町にある天台宗の寺院。山号は谷汲山(たにぐみさん)。本尊は十一面観世音菩薩。西国三十三所33番札所(結願寺)。
寺伝(『谷汲山根元由来記』)によると、平安時代初期798年に会津郡司の大口大領が都から会津への帰途、当地で持念仏が動かなくなり草庵を建立、僧・豊然上人(ぶねんしょうにん)を開山とした。801年に桓武天皇が勅願寺とし、917年には醍醐天皇が「谷汲山」の山号と「華厳寺」の扁額を下賜、944年には朱雀天皇が鎮護国家の道場として当寺を勅願寺に定め、仏具、福田一万五千石を与えた。西国三十三所霊場の中興者と伝わる花山法皇は徒歩で巡行、当寺を三十三番札所の満願所と定め、禅衣(笈摺)、杖、三種のお詠歌を奉納したとされ、のちの鎌倉時代に後白河法皇が花山法皇の跡を辿って同行千人以上を従えて巡行したとされている。
鎌倉時代1221年の承久の乱では、朝廷側に属したため寺領を没収されている。建武の新政期1334年以降、足利氏と新田氏との戦乱が起こり、幾度も諸堂伽藍を焼失したが、本尊や脇侍などは山中に遷して難を逃れている。その後一時廃れたが、戦国時代1479年に薩摩国鹿児島慈眼寺住職・道破拾穀が観音菩薩の夢告を受け、当寺を再興したとされている。
当寺は、樽見鉄道・谷汲口駅から西美濃もみじ街道(県道40号線)経由で道のり4kmあまり。県道から逸れると北向きに1kmほど続く参道(巡礼花街道)が伸びる。初めは参道両側に駐車場が続き、やがて土産物屋・飲食店に変わり、仁王門から境内に入る。本堂直前までは傾斜はなだらかで高齢のご老人も多く見かける。広々とした境内は、本堂中心に建物が集中していて、見応えも十分。じっくり見て廻るには時間を要する。さすが西国三十三所の結願所といったところ。
今回は、岐阜県唯一の西国三十三所の札所ということで参拝することに。参拝時は週末の午後で、参道入口の広大な駐車場が満車になるぐらいの混雑。参道、境内ともに多くの人で賑わっていた。
※西国三十三所では、通常1ヶ所で御朱印は1つだが、結願寺の当寺では御朱印が3つあり、3つセットで拝受する必要がある(個別拝受は不可みたい)。
こちらが<仁王門>。江戸中期の宝暦年間(1751年~1764年)再建。入母屋造、三間の二重門。扁額には「谷汲山」、石柱には「西國第三十三番満願霊場」とある。
<仁王門>をくぐる。
参道を進む。
参道右側の<十王堂>。
参道右側の<羅漢堂>。
参道前方を望む。
参道左側の高いところにある<吒枳尼真天堂>。豊川稲荷の分霊である吨枳尼真天を祀る。
参道左側の高いところにある<明王院>。
参道中央にある<焼香堂>。
本堂を見上げる。前方の<本堂>を望む。
参道左側の<経堂>。
参道右側の<英霊堂>。
参道左側の<勢至・観音第菩薩>(左)と<踊地蔵尊>(右)。
参道右側の<三十三所堂>。西国三十三所観音霊場のそれぞれの札所の本尊を模した33体の観音像を祀る。
いよいよ本堂前の階段を登る。
階段の途中から<本堂>入口を見上げる。
本堂正面から内部を望む。本尊の脇侍として安置される木造毘沙門天立像は国指定の重要文化財。一般非公開。
本堂内部、左側から。
本堂内部、右側から。写真右端は納経所。御朱印はこちら。
本堂入口から階段下を見下ろす。参拝客がどんどん上がって来る。
本堂右側の外にある<愛染明王>の祠。
本堂右奥の外にある<持経観音>。
本堂の裏側にある仏像。
本堂の後ろにある<苔の水地蔵尊>。皆さんお地蔵さんに札をペタペタ張っている。
本堂左奥の建物群。
本堂左奥の建物にある<笈摺(おいずる)堂>。
笈摺堂の左隣にある<子安堂>。
<子安堂>の内部中央。
<子安堂>の内部にある観音像。
建物群の左端にあるのは<毘沙門天像>か。
見てきた本堂左奥の建物群を外から。
本堂左手から裏手に向かって登る。
階段の上にある<満願堂>。
<満願堂>からの眺め。
満願堂の右手に進んだ、山側にある建物。
満願堂の右手に進んだ、谷側の建物。
本堂に向かって右手にある<鐘堂>。自由に鐘を撞くことができる。子供に人気。
鐘堂から山側の上の<阿弥陀堂>を見上げる。
階段を登ったところにある<阿弥陀堂>。
鐘堂の近くから<本堂>を見上げる。
本堂に向かって左側の、一段低いところにある<内仏客殿>。
内仏客殿の右側にある<元三大師堂>。
帰路。参道を下って行く。
最後にもう一度<仁王門>。広いし見応えもたっぷり。さすが西国三十三所の結願寺! (^▽^)/
初めて岐阜の地に足を延ばせました。岐阜県のみなさーん こんにちは。
西国三十三か所巡り 33番札所の華厳寺です。と言っても 吉願というわけではありません。まだ道半ばですが 岐阜県に来たかったのです。
兵庫県からだと GWの渋滞も相まって 車で3時間半ほどかかりました。遠かったのですが 楽しみが勝っていました。今回は一人旅です。
市営駐車場に車を停め 結構長い参道を歩くのですが 道の両側にはお土産屋さんやお食事処など お店が多くありました。時間が早かったからか 半分ぐらいも開いていなかったのが残念です。
山門をくぐると 山寺らしくひんやりとした空気が心地よく 多くの参拝者と一緒に境内を巡りました。
いいですね こういう雰囲気 私は大好きです。
途中に境内塔頭もいくつもあり(別投稿します) 見るところがたくさんありました。
とても見事な本殿は 荘厳な雰囲気を醸し出していますし 多くのお堂にも歴史を感じます。
さすが霊場巡りの吉願のお寺だと思いました。
満願堂まであるのにはびっくりでした。
「満願できていないのにすみません」でした。
奥の院があるということで(知らなかったです) そちらにも足を進めましたが これが大変でした。(別投稿します)
御朱印を拝受する際 「3つあります」と言われ 御朱印帳を見ると 確かに華厳寺の欄が3ページあったのです。不勉強で恥ずかしかったです。
あまりに見どころ満載だったので 写真撮りまくりでした。
重くなるので パート1・2に分けさせてください。
山号は谷汲山(たにぐみさん) 宗旨は天台宗 ご本尊は十一面観音(秘仏) 創建年は延暦17年(798年) 開山は豊然上人 開基は大口大領です。
西国三十三所第33番・東海白寿三十三観音霊場第33番・東海三十六不動尊霊場第33番の札所なのですが すべて33番というのが面白いです。
由緒については
華厳寺は延暦17年(798年) 会津の郡司で黒河郷(現在の福島県会津若松市)の大口大領なる人物によって創建されたという。
『由来記』によれば 大口大領は都の仏師に依頼して自らの信仰する十一面観音の像を造立した。
彼は観音像とともに会津に帰ろうとしていたが 途中 美濃国の赤坂(現在の岐阜県大垣市)で観音像が動かなくなってしまった。
赤坂の北五里の山中に観音所縁の霊地があるというお告げを受け 大口大領は同地に草庵を建立。
延暦末年に 当地で修行していた僧・豊然上人(ぶねんしょうにん)の協力を得て華厳寺を建立した。
西国三十三所霊場の中興者と伝承される花山法皇は徒歩で巡幸し 当寺を第三十三番札所の満願所と定め 禅衣(笈摺) 杖 および三首のご詠歌を奉納したと伝え 鎌倉時代には後白河法皇が花山法皇の跡を慕って同行千有余人を従えて巡幸したという。
なお、西国三十三所巡礼について触れた最も古い史料である『寺門高僧記』所収の「行尊伝」および「覚忠伝」では 第三十三番の霊場は三室戸寺になっており 園城寺(三井寺)の僧・覚忠が三十三所霊場を巡礼した応保元年(1161年)には 華厳寺は満願所ではなかった。
とありました。
参道手前の山門?車から撮りました
参道の両側にはお店がいっぱい
仁王門
石柱
かなり立派です
よく見かけるのですが これ何というのでしょうか
境内参道
境内案内図 広すぎる
地蔵堂
金ぴかのお地蔵様
三十三度石
まだまだ本堂は見えません
境内絵図 でかい
石仏も多い
本尊御杖の白藤
十王堂
羅漢堂
境内には川も流れています
魚藍観世音菩薩
石像が多くあります
手水は観音様
香炉
由来 とありますが読めません
内仏客殿へ続く階段
内仏客殿
内陣
庫裡
大師堂
経堂
英霊堂
ようやく本堂が見えてきました
菩薩様が2体
三十三所堂
扁額
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