高野山真言宗
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楽しみ方高家寺のお参りの記録一覧

「美濃新四国」第41番札所です。
1639年 戸田松平光重が播磨明石より美濃加納(現岐阜駅南)に転封し、それに従った住台寺住職祐加上人が開きました。
戸田(松平)忠光の娘である二の丸殿は光重の異母妹で、上野七日市藩主・前田利意の正室となりましたが、後に離別しました。母は忠光の正室で阿波徳島藩祖蜂須賀家政の四女・実相院です。
早世し、跡を継がなかった父・忠光、忠光の正室であった母の供養のため、また自分自身の心の安寧を求めて建てられたものです。
明治時代、岐阜駅を創る際に移動させられ、その移動先も太平洋戦争の戦火により全焼しました。
仮堂のままであったものを、岐阜駅前の開発に伴い岐阜市鷺山に仮移設し、その後、1993年に現在地に移転しました。
美濃新四国の御朱印を郵送して頂きました。(3/19着)
御朱印を頂き、もう1枚ご好意で頂きました。
昆布飴も頂きました🍬











美濃新四国 第41番札所 高家寺(こうけじ)にお参りしました。
高野山真言宗の密教寺院です。ご本尊は聖観音。
1989年に飛騨古川に岐阜県最古の寺院が発掘され、寺院名が「たきへでら」と呼ばれていた「高家寺」でああることが判明。
飛鳥時代に創建されたと考えられています。
1639年、戸田松平光重が、播磨明石より、美濃加納(現岐阜駅の南)に転封に伴った住台寺住職祐加上人の開基。
戸田松平氏が大臣家である正親町三条家の出身であったため公家を意味する「高家」を名乗った。
明治時代に岐阜駅を創る際に移転し、その移転先も太平洋戦争の戦火により焼失。岐阜市鷺山に仮移設し、その後1993年、現在の地(各務ヶ原市)に移転しました。
寺院の近くまで行って、入り口がわからず2周して駐車場へ・・トホホでしたが😢、境内は広くてゆったりとした雰囲気がいいなあ と思いながら参拝させていただきました。
雨がどしゃ降り状態となり、御朱印いただく際に「雨がひどくなってきたので気をつけてお帰りくださいと」お声をかけていただき、心穏やかに無事帰途につくことができました。🚗🌧️😊
ありがとうございました。

寺号標

山門

手水

本堂

御朱印

寺報と一緒にいただきました ありがとうございます
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