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楽しみ方高家寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2025年03月19日(水) 23時36分50秒
参拝:2025年3月吉日
「美濃新四国」第41番札所です。
1639年 戸田松平光重が播磨明石より美濃加納(現岐阜駅南)に転封し、それに従った住台寺住職祐加上人が開きました。
戸田(松平)忠光の娘である二の丸殿は光重の異母妹で、上野七日市藩主・前田利意の正室となりましたが、後に離別しました。母は忠光の正室で阿波徳島藩祖蜂須賀家政の四女・実相院です。
早世し、跡を継がなかった父・忠光、忠光の正室であった母の供養のため、また自分自身の心の安寧を求めて建てられたものです。
明治時代、岐阜駅を創る際に移動させられ、その移動先も太平洋戦争の戦火により全焼しました。
仮堂のままであったものを、岐阜駅前の開発に伴い岐阜市鷺山に仮移設し、その後、1993年に現在地に移転しました。
美濃新四国の御朱印を郵送して頂きました。(3/19着)
御朱印を頂き、もう1枚ご好意で頂きました。
昆布飴も頂きました🍬
1639年 戸田松平光重が播磨明石より美濃加納(現岐阜駅南)に転封し、それに従った住台寺住職祐加上人が開きました。
戸田(松平)忠光の娘である二の丸殿は光重の異母妹で、上野七日市藩主・前田利意の正室となりましたが、後に離別しました。母は忠光の正室で阿波徳島藩祖蜂須賀家政の四女・実相院です。
早世し、跡を継がなかった父・忠光、忠光の正室であった母の供養のため、また自分自身の心の安寧を求めて建てられたものです。
明治時代、岐阜駅を創る際に移動させられ、その移動先も太平洋戦争の戦火により全焼しました。
仮堂のままであったものを、岐阜駅前の開発に伴い岐阜市鷺山に仮移設し、その後、1993年に現在地に移転しました。
美濃新四国の御朱印を郵送して頂きました。(3/19着)
御朱印を頂き、もう1枚ご好意で頂きました。
昆布飴も頂きました🍬
すてき
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