御朱印・神社お寺の検索サイト
楽しみ方涼ケ岡八幡神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2026年01月04日(日) 11時15分47秒
参拝:2026年1月吉日
所在地:福島県相馬市坪田字涼ヶ岡51
主祭神:誉田別命 (応神天皇)
帯中彦命(仲哀天皇)
息長足姫命(神功皇后)
社 格:郷社
創 建:1334〜1336年
由 緒
本社の名は元「八幡宮」、「八正宮」といい、維新後に「涼ヶ岡八幡神社(すずみがおかはちまんじんじゃ)」になりました。この地には、大同年間(806-809)に創立された「若宮八幡」という祠がありました。
後醍醐天皇が元弘三年(1333)に北畠顕家を東北を治める陸奥の守に任じ、建武二年(1335)にその武将の白河城主結城宗広(白川道忠)を宇多郷(今の相馬市)の守に任じました。結城宗広はかねて信仰する八幡の宮を建てたいと場所を探したところ、熊野堂の館(現中野清水)の南に「若宮八幡」という祠があり、杉樹などの古木が繁茂し幽邃(ゆうすい、奥深く静か)であり適地であるとして、この地に「八幡宮」を建て、「若宮八幡」を摂社(せっしゃ、本社と縁のある神を祀っている神社)にしました。
天文年間(1532-1555)に相馬氏の所領に代わり、その後相馬氏が代々本社を崇敬し、相馬中村藩の鎮守として祭典や修繕は全て藩費でまかなっていました。
元禄七年(1694)になり、相馬家二十一代で相馬中村藩五代藩主の相馬昌胤が特に本社を崇敬し、新しく各宮殿を造営、境内を整備し、翌元禄八年(1695)に完成しました。総欅材(けやきざい)を用い、近郷でも群を抜く壮美な宮殿になり、「相馬日光」と称されました・
明治六年(1873)に宇多郷25ヶ村の郷社になりました。平成24年(2012)、元禄八年に完成し現存する7棟全てが国の重要文化財に指定されました。
【涼ケ岡八幡神社HPより】
主祭神:誉田別命 (応神天皇)
帯中彦命(仲哀天皇)
息長足姫命(神功皇后)
社 格:郷社
創 建:1334〜1336年
由 緒
本社の名は元「八幡宮」、「八正宮」といい、維新後に「涼ヶ岡八幡神社(すずみがおかはちまんじんじゃ)」になりました。この地には、大同年間(806-809)に創立された「若宮八幡」という祠がありました。
後醍醐天皇が元弘三年(1333)に北畠顕家を東北を治める陸奥の守に任じ、建武二年(1335)にその武将の白河城主結城宗広(白川道忠)を宇多郷(今の相馬市)の守に任じました。結城宗広はかねて信仰する八幡の宮を建てたいと場所を探したところ、熊野堂の館(現中野清水)の南に「若宮八幡」という祠があり、杉樹などの古木が繁茂し幽邃(ゆうすい、奥深く静か)であり適地であるとして、この地に「八幡宮」を建て、「若宮八幡」を摂社(せっしゃ、本社と縁のある神を祀っている神社)にしました。
天文年間(1532-1555)に相馬氏の所領に代わり、その後相馬氏が代々本社を崇敬し、相馬中村藩の鎮守として祭典や修繕は全て藩費でまかなっていました。
元禄七年(1694)になり、相馬家二十一代で相馬中村藩五代藩主の相馬昌胤が特に本社を崇敬し、新しく各宮殿を造営、境内を整備し、翌元禄八年(1695)に完成しました。総欅材(けやきざい)を用い、近郷でも群を抜く壮美な宮殿になり、「相馬日光」と称されました・
明治六年(1873)に宇多郷25ヶ村の郷社になりました。平成24年(2012)、元禄八年に完成し現存する7棟全てが国の重要文化財に指定されました。
【涼ケ岡八幡神社HPより】
すてき
投稿者のプロフィール

Kou1147投稿
2011年東日本大震災を切っ掛けに寺社参拝を始めました。これまで900余の寺社を参拝させていただき、拝受した御朱印も気付けば1300枚超。日本史にも関心があり、寺社参拝がライフワークの一部になり...もっと読む
ホトカミ見ました! で広がるご縁
ホトカミを見てお参りされた際は、もし話す機会があれば神主さんに、「ホトカミ見てお参りしました!」とお伝えください。
神主さんも、ホトカミを通じてお参りされる方がいるんだなぁと、ホトカミ無料公式登録して、情報を発信しようという気持ちになるかもしれませんし、
「ホトカミ見ました!」きっかけで豊かな会話が生まれたら、ホトカミ運営の私たちも嬉しいです。

























