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みずもりじんじゃ

水守神社の御由緒・歴史
福島県 草野駅

ご祭神御祭神 三森治右衛門光豊命
創建時代昭和26年(1951年)3月15日
ご由緒

【 創建 】
水守神社は、昭和26年3月15日に創建されました。
この神社の社名は水守神社となっていますが、祭神は三森治右衛門光豊命です。
姓が三森であり、社名の水守との語呂合わせが不思議な縁であるとも言えます。
水守とは「天之水分神」という観念を引き継いでいるものです。
【 御祭神・三森治右衛門経歴 】
三森治右衛門は、寛永13年(1636年)4月7日に生まれました。
16歳の時には平藩主内藤忠興公に仕え、三森内匠と呼ばれました。
その後、澤村勘兵衛勝為の指導のもと小川江筋の開削工事に携わりましたが、勘兵衛勝為は藩主の命により自刃。
それにより治右衛門は決意を固め、大室と大森の二つの洞穴の掘削を進めました。
なお澤村勘兵衛勝為は、澤村神社の御祭神としてその功績を称え祀られています。
【 水利事業による五穀豊穣 】
三森治右衛門は延宝2年(1674年)3月、39歳の盛りで愛谷江筋の工事を開始しました。
工事は紆余曲折を経て4里5町余りに及び、その間には大小14の閘門が設けられ、灌漑面積は510余町歩に及びました。
愛谷江筋の完成は延宝7年(1679年)で、その間は大きな労苦が伴いましたが、小川江と並んでこの地域の水利事業はほぼ完全に整備され、五穀豊穣をもたらしました。
現在のいわき市は、多くの地域が三森治右衛門の恩恵を受けて発展したと言えます。
【 指導力と技術力 】
小川江筋や愛谷江筋の開削において指導的役割を果たした光明寺の観順和尚は、三森治右衛門に対して深い信頼を寄せ、その指導力と技術の卓越さを高く評価していました。
三森治右衛門は元禄7年(1694年)11月17日に58歳で亡くなりました。

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