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諏訪八幡神社ではいただけません
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すわはちまんじんじゃ

諏訪八幡神社
福島県 泉(JR)駅

諏訪八幡神社について

旧泉藩の祈願社として街なかに鎮座し、崇敬を集めています。
人々の生活守護や水に縁が深く、神社のシンボルは龍の天井画、隣地は泉浄水場です。
アクセス良好で旧国道に面し、段差なく駐車場から拝殿まで行けます。
ご年配の方や車イスの方にも参拝しやすい神社です。

福島県のおすすめ2選🌸

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例祭・神事

🔸1月1日…歳旦祭
🔸1月8日…清祓い(お焚き上げ)
🔸2月11日…建国際
🔸5月5日…春季例大祭(神輿渡御)
🔸9月敬老の日前日…夏祭(三匹獅子舞・ささら棒術)
🔸10月第2日曜日…秋季例大祭(神輿渡御・流鏑馬)
🔸11月30日…新嘗祭

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歴史

【 創建とお取立て 】
はじめ平安時代の大同年間(806〜810)、現在地よりも海に近い滝尻亀石に、諏訪・八幡の両神が勧請。
それから150年以上が経ち、当地に着任した岩城判官の平政氏公(平将門の孫)にお取立てされて中興しました。
【 津波による移転 】
その後、天文年間(1532〜1555)に津波で社殿が被災し、復興のため滝尻の山の上に移されました(地名:諏訪山)。
【 泉藩の祈願社 】
寛永11年(1634)、初代泉藩主・内藤政晴公によって泉藩の祈願社となりました。
また延宝3年(1675)には内藤政親公によって、山の上にあった社殿が再び里へと降ろされ、現在地である「岩城判官・平政氏公の旧館跡/滝尻城跡」に奉遷されました(当時は諏訪大明神・正八幡宮に分祀)。
その後、元禄15年(1702)には泉藩主・板倉重同(しげあつ)公が水田10石を寄進。
延享3年(1746)に泉藩主が本多忠如公に交代しても、春秋の祭りに米10俵と金子1両が捧げられ、崇敬は変わりませんでした。
【 現本殿の造営と合祀 】
現在の本殿は、寛政8年(1796)に江戸幕府の老中格である泉藩主・本多忠籌(ただかず)公によって建てられました。
明治6年(1873)になると諏訪・八幡両神を合祀し、郷社に列せられました。
また大正4年(1915)、氏子によって唐獅子一対が奉納されました。
【 改築と改修 】
その後、昭和49年(1974)11月に現在地300年記念として幣殿拝殿が改築。
東日本大震災を経て令和元年(2019)11月に本殿が改修、さらに大鳥居・神輿庫・手水舎も改築されました。
また、令和3(2021)年8月には参道に石畳が新たに敷かれました。

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諏訪八幡神社の基本情報

住所福島県いわき市泉町6丁目10−17
行き方

県道20号(旧6号国道)に面していて、訪れやすいです。
境内周辺には泉浄水場やダイソー、ファミレス等があります。
🔹車…いわき湯本ICから約15分
🔹タクシー…JR泉駅から約4分
🔹徒歩…JR泉駅から約17分
🔹バス…JR泉駅南口→泉六丁目停留所で下車徒歩4分
🔹バス…JR泉駅南口→泉五丁目停留所で下車徒歩8分

アクセスを詳しく見る
名称諏訪八幡神社
読み方すわはちまんじんじゃ
通称泉諏訪神社
参拝時間

9:00〜16:00

トイレなし
御朱印あり

限定御朱印あり
御朱印帳なし
電話番号0246-56-6450
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
おみくじあり
SNS

詳細情報

ご祭神《主》健御名方命,誉田別命
創建時代大同年間(806〜810)
本殿入母屋造銅板葺
文化財

🔹本殿…泉藩主で幕府老中格・本多忠籌公による造営
🔹拝殿…日本画家・大平華泉氏による龍の天井画
🔹土塁…鳥居両脇に滝尻城の土塁が残存
🔹唐獅子一対…狛犬の口が左右とも開いており(阿阿型)、石碑には唐獅子一対と記されている
🔹安寿と厨子王ゆかりの碑…岩城判官の平政氏公の旧館跡地という由緒による

ご由緒

【 創建とお取立て 】
はじめ平安時代の大同年間(806〜810)、現在地よりも海に近い滝尻亀石に、諏訪・八幡の両神が勧請。
それから150年以上が経ち、当地に着任した岩城判官の平政氏公(平将門の孫)にお取立てされて中興しました。
【 津波による移転 】
その後、天文年間(1532〜1555)に津波で社殿が被災し、復興のため滝尻の山の上に移されました(地名:諏訪山)。
【 泉藩の祈願社 】
寛永11年(1634)、初代泉藩主・内藤政晴公によって泉藩の祈願社となりました。
また延宝3年(1675)には内藤政親公によって、山の上にあった社殿が再び里へと降ろされ、現在地である「岩城判官・平政氏公の旧館跡/滝尻城跡」に奉遷されました(当時は諏訪大明神・正八幡宮に分祀)。
その後、元禄15年(1702)には泉藩主・板倉重同(しげあつ)公が水田10石を寄進。
延享3年(1746)に泉藩主が本多忠如公に交代しても、春秋の祭りに米10俵と金子1両が捧げられ、崇敬は変わりませんでした。
【 現本殿の造営と合祀 】
現在の本殿は、寛政8年(1796)に江戸幕府の老中格である泉藩主・本多忠籌(ただかず)公によって建てられました。
明治6年(1873)になると諏訪・八幡両神を合祀し、郷社に列せられました。
また大正4年(1915)、氏子によって唐獅子一対が奉納されました。
【 改築と改修 】
その後、昭和49年(1974)11月に現在地300年記念として幣殿拝殿が改築。
東日本大震災を経て令和元年(2019)11月に本殿が改修、さらに大鳥居・神輿庫・手水舎も改築されました。
また、令和3(2021)年8月には参道に石畳が新たに敷かれました。

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Wikipediaからの引用

概要
諏訪八幡神社(すわはちまんじんじゃ)は、福島県いわき市泉町にある神社。旧泉藩の祈願社で、旧社格は郷社。 現在の鎮座地は、平安時代の岩城(磐城)判官・平政氏の旧館跡と伝わり、中世の小山氏が治めた滝尻城跡に比定されている。
歴史
由緒[編集] 社伝によると平安時代、大同年間(806 - 810年)頃、亀石ヶ原(現在の泉町滝尻亀石)に勧請され、岩城判官・平政氏により御鎮守・御取立。 天文年間(1532 - 1555年)頃、大津波により社殿が破却され、滝尻[1]山の上に遷座。 1634年(寛永11年)に磐城平藩より分地され立藩、内藤家泉藩初代藩主内藤政晴により泉藩の祈願社と定められ、1675年(延宝3年)2代藩主内藤政親によって岩城判官政氏の旧館跡(現在地:泉町六丁目)に奉遷。当初は、諏訪大明神・正八幡宮に分祀されていた。 1702年(元禄15年)、移封され板倉家泉藩の初代藩主・板倉重同に代わっても崇敬怠らず、水田1...Wikipediaで続きを読む
アクセス
交通アクセス[編集] 車…いわき湯本ICから約15分 タクシー…JR泉駅から約4分 徒歩…JR泉駅から約17分 バス…JR泉駅南口→泉六丁目停留所で下車徒歩4分 バス…JR泉駅南口→泉五丁目停留所で下車徒歩8分
引用元情報諏訪八幡神社 (いわき市泉町)」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E8%AB%8F%E8%A8%AA%E5%85%AB%E5%B9%A1%E7%A5%9E%E7%A4%BE%20%28%E3%81%84%E3%82%8F%E3%81%8D%E5%B8%82%E6%B3%89%E7%94%BA%29&oldid=99765382

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