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すみよしじんじゃ

住吉神社の御由緒・歴史
福島県 泉(JR)駅

ご祭神《主》表筒之男命,中筒之男命,底筒之男命
ご神体磐座
創建時代第12代景行天皇の時代
創始者武内宿禰
ご由緒

【 全国住吉神社七社の一社 】
当社は磐城七座の一社として、また全国住吉神社七社の一社として延喜式内社として位置づけられています。
【 磐座 】
古代には湾内に存在した小さな岩山が神聖視され、その麓に社殿が建てられました。
【 武内宿禰による勧請 】
第12代景行天皇の時代に、当時の大臣武内宿禰が命を受け、東北地方を巡視した際、住吉は陸と海の要所であり、東北の関門でもあるため、航海安全と国家の守護のために東北総鎮守として祀られました。
康平7年(1064年)、第70代御冷泉天皇の時代には、朝廷が勅使を派遣し、東国の賊徒の平定を祈願しました。
源頼義は宝刀「鵜の丸の剣」を奉納して、武運の祈願を捧げました。
当社は朝野から厚い崇敬を受け、鎌倉幕府は数千貫の社領を寄進し、豊臣秀吉の時代には70石の神領が認められ、徳川時代には20石の朱印地を所有していました。
【 社殿の変遷と参道 】
当社は東北総鎮守として北向きに建てられた社殿でしたが、貞享元年(1684年)に平藩の領主であった内藤家において家族の争いなどが続き、その原因が平城を睨む当社にあるとされました。
そのため、社殿の向きが変更されました。
その際、内藤家から幅5間、長さ200間の参道が寄進され、現在も道路として残っています。
この参道は馬場とも呼ばれ、真っ直ぐであり、馬の訓練にも使用されるものです。
この参道に沿って形成された町を「新町」と呼び、それまでの北側の参道沿いを「大町」と呼びます。
また、本殿は寛永18年(1642年)に建て替えられ、拝殿は最近、時代考証の上で安土桃山様式に造り改められています。

歴史
歴史[編集] 社伝によると、創建は景行天皇の御代に武内宿禰が勅命を奉じて東北地方を巡視した際、当地が海と陸の要害の地であり、かつ東北の関門にあたるので、航海安全と国家鎮護のために住吉三神を祀ったとする。 延喜式神名帳には陸奥国磐城郡七座の一社として小社に列している。康平7年(1064年)には前九年の役にあたり朝廷から勅使が遣わされ、東国の賊徒討伐を祈願した。寛永18年(1641年)には泉藩主内藤政晴によって社殿が改築され、現在の本殿はこのときに建てられたものである。 明治4年(1871年)に郷社、昭和3年(1928年)に県社に列した。
引用元情報住吉神社 (いわき市)」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E4%BD%8F%E5%90%89%E7%A5%9E%E7%A4%BE%20%28%E3%81%84%E3%82%8F%E3%81%8D%E5%B8%82%29&oldid=91346367

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