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すみよしじんじゃ

住吉神社
福島県 泉(JR)駅

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サンダー
サンダー
2025年05月11日(日) 20時43分04秒
2301投稿

小名浜地区に移動。以前いわきに住んでいた頃は神社参拝等、気持ちの余裕がなかったので、こちらの存在さえ知りませんでした。全国住吉七社の一社に数えられ、陸奥国磐城郡七座の一社として小社に列せられている式内社です。参拝時には裏山に岩が多いな~と思っていたのですが。どうやら磐座だったようです。小名浜を代表する古社ですが、この日はひっそりと参拝者も少なくゆっくりとできました。摂社八幡神社は一度住吉神社を出る形になりますが、途中足尾神社の石柱や鬼子母神の石碑があります。案内表示もあることから重要な由緒があるようですが、詳細は判りませんでした。又、この辺りに磯山に衝突した船が土中に埋まっているという言い伝えがあります。
御朱印は書置きで戴きました。

住吉神社(福島県)

一の鳥居

住吉神社(福島県)

二の鳥居

住吉神社(福島県)

神橋

住吉神社(福島県)
住吉神社(福島県)

昭和七年(1932)奉納の狛犬

住吉神社(福島県)
住吉神社(福島県)
住吉神社(福島県)

手水舎

住吉神社(福島県)

手水盤

住吉神社(福島県)
住吉神社(福島県)

境内社 菅原神社

住吉神社(福島県)
住吉神社(福島県)

平成十一年(1999)造営の神門

住吉神社(福島県)
住吉神社(福島県)

燈籠

住吉神社(福島県)

昭和六十年(1985)改築の拝殿

住吉神社(福島県)

扁額

住吉神社(福島県)

本殿 寛永十八年(1641)、平藩領主、内藤政長の子泉藩初代藩主政晴により建造(県指定重要文化財)

住吉神社(福島県)
住吉神社(福島県)
住吉神社(福島県)

境内社 別雷神社

住吉神社(福島県)
住吉神社の末社・摂社

境内社 諏訪神社

住吉神社(福島県)

境内社 久須志神社 御祭神:少彦名命

住吉神社(福島県)
住吉神社(福島県)

境内社 大年神社

住吉神社(福島県)

湯殿山

住吉神社(福島県)

鬼子母神

住吉神社(福島県)

足尾神社

住吉神社(福島県)
住吉神社(福島県)

摂社鳥居

住吉神社(福島県)

参道

住吉神社(福島県)

燈籠

住吉神社(福島県)

住吉八幡神社拝殿

住吉神社(福島県)

本殿 元は住吉神社の仮殿としてたてられた
御祭神:神功皇后

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歴史

【 全国住吉神社七社の一社 】
当社は磐城七座の一社として、また全国住吉神社七社の一社として延喜式内社として位置づけられています。
【 磐座 】
古代には湾内に存在した小さな岩山が神聖視され、その麓に社殿が建てられました。
【 武内宿禰による勧請 】
第12代景行天皇の時代に、当時の大臣武内宿禰が命を受け、東北地方を巡視した際、住吉は陸と海の要所であり、東北の関門でもあるため、航海安全と国家の守護のために東北総鎮守として祀られました。
康平7年(1064年)、第70代御冷泉天皇の時代には、朝廷が勅使を派遣し、東国の賊徒の平定を祈願しました。
源頼義は宝刀「鵜の丸の剣」を奉納して、武運の祈願を捧げました。
当社は朝野から厚い崇敬を受け、鎌倉幕府は数千貫の社領を寄進し、豊臣秀吉の時代には70石の神領が認められ、徳川時代には20石の朱印地を所有していました。
【 社殿の変遷と参道 】
当社は東北総鎮守として北向きに建てられた社殿でしたが、貞享元年(1684年)に平藩の領主であった内藤家において家族の争いなどが続き、その原因が平城を睨む当社にあるとされました。
そのため、社殿の向きが変更されました。
その際、内藤家から幅5間、長さ200間の参道が寄進され、現在も道路として残っています。
この参道は馬場とも呼ばれ、真っ直ぐであり、馬の訓練にも使用されるものです。
この参道に沿って形成された町を「新町」と呼び、それまでの北側の参道沿いを「大町」と呼びます。
また、本殿は寛永18年(1642年)に建て替えられ、拝殿は最近、時代考証の上で安土桃山様式に造り改められています。

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住吉神社の基本情報

住所

福島県いわき市小名浜住吉字住吉1

行き方

常磐自動車道、湯本ICより小名浜方面に車で15分
JR常磐線湯本駅降車、小名浜行きバスに乗車後15分ほどで住吉バス停降車。その後徒歩7分

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名称

住吉神社

読み方

すみよしじんじゃ

御朱印あり
限定御朱印なし
電話番号0246-58-4526
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
メールアドレスwebmaster@sumiyosi-jinja.jp
ホームページhttp://www.sumiyosi-jinja.jp/

詳細情報

ご祭神《主》表筒之男命,中筒之男命,底筒之男命
ご神体

磐座

創建時代

第12代景行天皇の時代

創始者

武内宿禰

文化財

・絵馬「鬼と力士の首綱引き」…市指定重要文化財

ご由緒

【 全国住吉神社七社の一社 】
当社は磐城七座の一社として、また全国住吉神社七社の一社として延喜式内社として位置づけられています。
【 磐座 】
古代には湾内に存在した小さな岩山が神聖視され、その麓に社殿が建てられました。
【 武内宿禰による勧請 】
第12代景行天皇の時代に、当時の大臣武内宿禰が命を受け、東北地方を巡視した際、住吉は陸と海の要所であり、東北の関門でもあるため、航海安全と国家の守護のために東北総鎮守として祀られました。
康平7年(1064年)、第70代御冷泉天皇の時代には、朝廷が勅使を派遣し、東国の賊徒の平定を祈願しました。
源頼義は宝刀「鵜の丸の剣」を奉納して、武運の祈願を捧げました。
当社は朝野から厚い崇敬を受け、鎌倉幕府は数千貫の社領を寄進し、豊臣秀吉の時代には70石の神領が認められ、徳川時代には20石の朱印地を所有していました。
【 社殿の変遷と参道 】
当社は東北総鎮守として北向きに建てられた社殿でしたが、貞享元年(1684年)に平藩の領主であった内藤家において家族の争いなどが続き、その原因が平城を睨む当社にあるとされました。
そのため、社殿の向きが変更されました。
その際、内藤家から幅5間、長さ200間の参道が寄進され、現在も道路として残っています。
この参道は馬場とも呼ばれ、真っ直ぐであり、馬の訓練にも使用されるものです。
この参道に沿って形成された町を「新町」と呼び、それまでの北側の参道沿いを「大町」と呼びます。
また、本殿は寛永18年(1642年)に建て替えられ、拝殿は最近、時代考証の上で安土桃山様式に造り改められています。

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