いいのはちまんぐう
飯野八幡宮のお参りの記録一覧
1063年源頼義が前九年の役出征の際、京都石清水八幡宮を勧請し創建されたと伝わる。
1186年源頼朝の命により関東御領好嶋荘の総社として祀られる。
1204年火災で焼失するも1206年北条政子が再建した。
室町時代は岩城五郡の総社として岩城家を始め庶民の崇敬を集めた。
現在の本殿は1614年の火災で焼失したものを1616年に再建したものである。
1616年建築の本殿、1619年建築の若宮神社本殿、1623年建築の神楽殿、1658年建築の楼門、1673年建築の仮殿、1703年建築の唐門、17世紀前期建築の宝蔵は重文指定されている。
拝殿
拝殿
拝殿
本殿
本殿
楼門
楼門
楼門
楼門
楼門
唐門
神楽殿
神楽殿
武内神社
白幡神社
宝蔵
宝蔵
仮殿
仮殿
若宮神社
若宮神社本殿
愛宕神社
元旦にお参りしたかったのですが、周辺は大渋滞のため、日にちをずらしてお日柄のよい日を選んで行きました。
思えば昨年もお日柄のよい6日に参拝。静かな境内に凛とした空気が漂って身の引き締まる思いがしたのでした。
が、しかし!今年は相変わらずの大渋滞。なんと出初め式が催されていました。
境内もまだまだお正月の雰囲気が継続中でにぎわっていました。
除災招福のお払いを受けさせて頂きました。今年も良い年になりますように!
最後に、三が日にはシャトルバスが運行していたことを教えていただいて、ちょっとズッコケました🤣備忘録としても投稿しておきます。
夏越の大祓当日の朝伺ったところ、茅の輪が設置されており、人生初めての茅の輪をくぐらせていただきました。夏越の和歌を唱えながら回るべしとのこと…立て札を見い見い慎重にくぐりました。
これまでの半年間、本当に大事なく過ごせたことを感謝して参拝いたしました。
いつもは御朱印をいただかずに気軽に参拝していたのですが、せっかくだからと社務所へ。思いがけず夏詣限定のさわやかな紫陽花が判で描かれたすてきな御朱印をいただき、「手書きなんですね!すてき!」と思わず声が(笑)巫女の方に御礼をいただきました。
さらに午後からの夏越の大祓で、一家族ごとに人形でご祈祷してくださると知り、家族分お願いをしていただきました。残念ながら午後は都合つきませんでしたが、後日、茅の輪守りを送付していただき、うれしさも倍増です。
1674年の社殿大改修の折に柿葺(こけらぶき)となった本殿は国の重要文化財で、このほか楼門、神楽殿、唐門、仮殿、宝蔵・若宮八幡神社なども同じく国の重要文化財として指定を受けています。大変魅力のある神社ですが、平日の午前中ということもあったためでしょうか、人影はありませんでした。境内を撮影し終わると同時に、近所の保育園の子供たちが大挙して押し寄せてきて大変賑やかになっていました。
鳥居
神橋より楼門を望む
参道より唐門を望む
拝殿
拝殿木鼻
拝殿向拝下彫刻
扁額に彫刻
本殿
本殿彫刻
仮殿
若宮社
神楽殿
宝蔵
白旗神社
武内神社
伽具土社(愛宕神社)
源頼義が奥州合戦(前九年の役)出征の時、京都岩清水八幡宮を戦勝祈願のため勧請し、後に、頼朝が文治二年(1186年)関東御領好嶋荘の総社として創建しました。なんだか難しい、、つまり、京都の石清水八幡宮が遠い奥州の地に荘園を持っていたが、どう言う訳か実際は幕府の管轄下だった、と言うのかな?
能書きはさておき、執権北条時頼は幕府政所執事の伊賀氏を荘園の長と神主職を命じ、現宮司さんに至ると言う長い歴史を持つ神社です。
朱の楼門や社殿の佇まいが品よく、大変落ち着く神社でした。
鳥居を渡ると神橋。
この神橋は渡って良いのか、、悩んだ末、遠慮しました。
朱の楼門
石畳が気持ち良い
振り向くとこんな感じ。
唐門
拝殿
注連縄はこちらのお方に縛られています。
本殿
若宮社
駐車場の近くには愛宕神社もありました。
アマビエのお札も頂きました。
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