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紅葉の境の明神
白河の関を南下したところにも境の明神がありますが
こちらは奥州街道の境の明神
紅葉が綺麗です
福島県側(陸奥国)側に鎮座する境神社
昼なお暗い感じの境内に
みちのくの入口感を感じます
以下白河市のHPからの説明文です
境の明神は、白河市と栃木県那須町の県境に
二社並立している神社の通称である
白河から見ると、陸奥側(白河市)には玉津島明神(女神・衣通姫)、
下野側(栃木県那須町)には住吉明神(男神・中筒男命)が祀られている(注記)
社殿については、会津領主蒲生氏により造営され、
白河藩主本多能登守により改修されたという記録があるが、
現存する社殿は、火災による焼失のため、弘化元年(1844)に再建されたものである
松尾芭蕉の奥の細道俳諧紀行で、
みちのくの第一歩を記した場所として句碑や歌碑が建立されているとともに、
大名家や商人から多くの燈籠が寄進されていることから、
陸奥・下野の国境である境の明神として重要な場所であったことがうかがえる
(注記)「玉津島明神」と「住吉明神」は、
国境の神・和歌の神として知られ、女
神は内(国を守る)・男神は外(外敵を防ぐ)という信仰に基づき祀られている
このため、陸奥・下野とも自らの側に「玉津島明神」を祀り、
反対側に「住吉明神」を祀るとしている
![断捨離](https://minimized.hotokami.jp/OYpovAN-N-bq3fKpxeQfaa8XERbrACcNiW6yUdCr0mc/s:30:30/q:20/plain/https://hotokami-user.s3.amazonaws.com/20190905-135016_30H09ZIGto.jpg@webp)
旧奥州街道に面し、下野側の玉津島神社(女神)陸奥側の住吉神社(男神)を境の明神と呼び並んでお祀りしています。
境の明神の由緒は不明ですが、文禄四年(1595年)白河を支配していた会津藩主蒲生氏が社殿を造営したそうです。
旧奥州街道は比較的車の往来が激しく、駐車場のある栃木側から歩くとスリルがあります。
狭い境内ですが、車の音も聞こえず、鳥の鳴き声が響いていました。
面白いことに、内を守る女神は玉津島、外を守る男神は住吉と言う意味で、福島からみればこちらは玉津島神社、栃木側は住吉神社になるそうです。
山門内部
読めないのですが、境明神○と書いてある気もします。
本殿
末社
たくさんの石灯籠があります。
句碑の説明書
境内案内図
所狭しと配置された石灯籠を奉納した方々の説明があります。
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