だいれんじんじゃ
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大連神社ではいただけません
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大連神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2020年02月28日(金)
参拝:2020年2月吉日
大連神社(だいれんじんじゃ)
以下Wikipediaより抜粋
1907年(明治40年)10月1日に創建。大連に住む日本人より氏神として崇敬され、1944年(昭和19年)に旅順の官幣大社関東神宮が鎮座するまでは関東州の中心的な神社であった。
大連神社の神体と神宝は、1947年(昭和22年)3月14日、元大連神社宮司・水野久直の手によって日本に持ち帰られ、福岡市の筥崎宮に仮安置された。その後、水野が赤間神宮宮司に赴任した際、その境内に小祠を建てて大連神社の神体を遷し祀った。1973年(昭和48年)の第60回神宮式年遷宮の際に古社殿を譲り受け、1980年(昭和55年)、本殿北東の現在地に移築して正遷座祭を行った。
なお、大連市の大連神社跡地は現在、解放小学(同市中山区)となっている。
以下Wikipediaより抜粋
1907年(明治40年)10月1日に創建。大連に住む日本人より氏神として崇敬され、1944年(昭和19年)に旅順の官幣大社関東神宮が鎮座するまでは関東州の中心的な神社であった。
大連神社の神体と神宝は、1947年(昭和22年)3月14日、元大連神社宮司・水野久直の手によって日本に持ち帰られ、福岡市の筥崎宮に仮安置された。その後、水野が赤間神宮宮司に赴任した際、その境内に小祠を建てて大連神社の神体を遷し祀った。1973年(昭和48年)の第60回神宮式年遷宮の際に古社殿を譲り受け、1980年(昭和55年)、本殿北東の現在地に移築して正遷座祭を行った。
なお、大連市の大連神社跡地は現在、解放小学(同市中山区)となっている。
この扁額は満州国国務総理大臣を
務めた 張景恵の書だそうです
務めた 張景恵の書だそうです
左隣に
祖霊殿があります
祖霊殿があります
山道入口の案内にもありましたが
大連神社の参道を途中から
朱色の鳥居参道とに分かれます
大連神社の参道を途中から
朱色の鳥居参道とに分かれます
こちらは
木曾義仲に攻められ
安徳天皇を奉じて都落ちする
平家一門が 伏見稲荷の分霊を勧請された
軍船の本拠地として 壇ノ浦の
紅石山に安置したものと伝えられるそうです
1945年(昭和20 年) 戦禍により社殿焼失
1984年(昭和59年)現在地に再建
とあります
木曾義仲に攻められ
安徳天皇を奉じて都落ちする
平家一門が 伏見稲荷の分霊を勧請された
軍船の本拠地として 壇ノ浦の
紅石山に安置したものと伝えられるそうです
1945年(昭和20 年) 戦禍により社殿焼失
1984年(昭和59年)現在地に再建
とあります
鳥居群を抜けると
紅石稲荷神社(べにいしいなりじんじゃ)
に辿り着きます
といっても すぐお隣ですが^ ^
格子戸の不思議なデザイン^ ^
紅石稲荷神社(べにいしいなりじんじゃ)
に辿り着きます
といっても すぐお隣ですが^ ^
格子戸の不思議なデザイン^ ^
こちらは翌日2月29日に再拝して
いただきました 赤間神宮にて頂けます
いただきました 赤間神宮にて頂けます
すてき
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