うはらじんじゃ
宇原神社の御由緒・歴史
ご祭神 | 左殿 彦火々出見尊
正殿 彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊 右殿 豊玉姫尊 | |
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ご由緒 | 宇原神社は縁起によりますと、遠く神代に御鎮座されたものでありまして、御祭神の彦火々出見尊(ひこほほでみのみこと)と豊玉姫尊(とよたまひめのみこと)は海神(わだつみ)の宮から御遷りになり日向の神田(苅田)にお着きになられたのであります。
御上陸後、豊玉姫尊は石に御腰を掛けさせられました。《其の地を「石の神」と言われ、またその御腰掛の石は土中に埋まることなく厳然と(現在は宇原神社境内に)残っております。》その時豊玉姫尊は御懐妊されておりましたので、御二神は清浄の地を占われ鵜原崎の地に産屋を造られました。ところが、その途中豊玉姫尊は急にお産気づき鸕鷀草で屋根を葺き終わらないうちに御子神が御降誕されました。それでその御子神を彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊(ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)と名づけられ、その地(現在の浮殿神社辺り)を浮殿(おきどの)と言うべしと宣われました。その後に此処に御三神を斎き奉って神田の地の産土神として崇敬し、宇原の宮と称え奉ったのであります。 第七十三代堀川天皇の御代寛治庚午の年(西暦1090年)に、丙戌(北西)の方に清浄な所があるとの御神勅により今の馬場宮山の地に御遷座されました。その後、天正年間(西暦1573年頃)より幕末(西暦1867年)に至るまで「宇原八幡宮」を名乗っておりましたが、明治初年より元の「宇原宮」と改めて今日に至っています。
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