はこざきぐう
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筥崎宮の御由緒・歴史
ご祭神 | 応神天皇 神功皇后 玉依姫命 | |
---|---|---|
ご神体 | 不詳 | |
創建時代 | 延喜二十一年(921年) | |
創始者 | 不詳 | |
ご由緒 | 筥崎宮は筥崎八幡宮とも称し、宇佐、石清水両宮とともに日本三大八幡宮に数えられます。 御祭神は筑紫国蚊田(かだ)の里、現在の福岡県宇美町にお生まれになられた応神天皇(第十五代天皇)を主祭神として、神功皇后、玉依姫命がお祀りされています。創建の時期については諸説あり断定することは困難ですが、古録によれば、平安時代の中頃である延喜21年(西暦921)、醍醐(だいご)天皇が神勅により「敵国降伏」(てきこくこうふく)の宸筆(しんぴつ)を下賜され、この地に壮麗な御社殿を建立し、延長元年(923)筑前大分(だいぶ)宮(穂波宮)より遷座したことになっております。創建後は祈りの場として朝野を問わず篤い崇敬を集めるとともに、海外との交流の門戸として重要な役割を果たしました。 鎌倉中期、蒙古(もうこ)襲来(元寇)のおり、俗に云う神風が吹き未曾有の困難に打ち勝ったことから、厄除・勝運の神としても有名です。後世は足利尊氏、大内義隆、小早川隆景、豊臣秀吉など歴史に名だたる武将が参詣、武功・文教にすぐれた八幡大神の御神徳を仰ぎ筥崎宮は隆盛を辿りました。江戸時代には福岡藩初代藩主黒田長政、以下歴代藩主も崇敬を怠ることはありませんでした。明治以降は近代国家を目指す日本とともに有り、同18年には官幣中社に、大正3年には官幣大社に社格を進められ、近年では全国より崇敬を集めるとともに、玉取祭や放生会大祭などの福博の四季を彩る杜(もり)として広く親しまれています。【当神社公式HPより】 | |
歴史 | 歴史[編集] 創建に関しては複数の説がある[1][2] が、公式サイトでは延喜21年に建立された説が紹介されている[1]。延喜21年(921年)6月21日に八幡神の託宣があり、応神天皇・神功皇后・玉依姫命を祭神として筑前国穂波郡の大分宮を玄界灘に面した土地に移したのに始まる[1]。延長元年(923年)に現在地に遷座[1]。『延喜式神名帳』には「八幡大菩薩筥崎宮一座」と記載され、名神大社に列している。 元寇の際に亀山上皇が敵国降伏を祈願し、神門に「敵國降伏」の扁額が掲げられた[1]。以来、海上交通・海外防護の神として信仰されている。 近代社格制度のもと明治4年(1871年)に県社に列格した...Wikipediaで続きを読む | |
引用元情報 | 「筥崎宮」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E7%AD%A5%E5%B4%8E%E5%AE%AE&oldid=102394120 |
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