いずみおかひとことじんじゃ
泉岡一言神社の編集履歴
ご由緒
創立の年月不詳。社伝によれば、「大和国葛城に鎮座する神を奉祀した」という。鎌倉時代の文永二年(1265)『若狭国総田帖』に「泉岡一言宮壹反・・・」と記され、『若狭国神階記』には「正五位泉岡一言神社、正月初午日、八月朔日に祀り能楽を催せり。」とある。また寛延年間(1748~1751)の社記に「創建由緒知不申候」、縁起書には「盤境を以って宮となす。神告げていわく、吾れ宮祠を好まず、しいて影光を止めおくなら、野嶽をもって社とせよ。」とある。郷民神意にそって社殿を建てなかった。また「神の使者として青毛の馬あり」ということから、昔より馬を養ったことがない。口伝では「往昔一言大神が青馬に乗り給い、今の社地に降座された時、里人が此の所に宮殿を造営致しましょうと伺った時、吾は宮祠を好まず」といわれたという。
古事記下巻の雄略天皇の項に、葛城山狩場での天皇と大神の問答に「・・・私は悪事も善事も一言で決めてしまう言離の神で、葛城の一言主之大神である」といわれた。天皇はおそれかしこみ太刀や弓矢を献上したと記されている。また『日本書紀』(720)の雄略天皇の条には、「一言大神は大和葛城山より影向の霊神として、山嶽・樹林を馳せ廻り、その神馳は無相で正邪に激烈な神である。人の道にかなっているなら、念ずるところを一言で「善し」といい願事を守り恵み給う」と記されている。
『神社明細帳』に、社殿「即今無之」。境内「六百六坪官有地第一種 外千二百十二坪 三十八年一月十一日境内地編入許可」とでている。最近は、毎月一日の月並祭や正月二日の祈祷初詣には、遠近からの氏子・崇敬者の参拝者が多い。
編集前:大和の国葛城山より影向の霊神で賞罰激烈也。神の使者は青毛の神馬也(青毛の馬に乗りて今の社地へ天降坐し)ゆえに里人青毛の馬を養わず。
また、神告げて曰く「吾敢えて宮祠を好まず、しいて影光を留めおきたいならば野嶽を以って祉とせよ」「宮殿を造営しなば崇高な野木嶽の嶺を以って神霊となし鬱蒼たる樹木の中に御心を鎮ませ給ふ」とある様に山全体を大神とし、故に千有余年社殿を創建せず。古事記712年、日本書紀720年にこの大神の考証あり。
御朱印
あり
創立
不詳