ひろみねじんじゃ
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廣嶺神社ではいただけません
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廣嶺神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2022年11月03日(木)
参拝:2022年10月吉日
【若狭國 古社巡り】
廣嶺神社(ひろみね~)は、福井県小浜市千種にある神社。旧社格は県社。祭神は、素盞嗚尊、稲田姫命、天穂日命、正哉吾勝々速日天忍穂耳尊、天津彦根命、浩津彦根命、熊野櫲樟日命、田心姫命、浩津姫命、市杵島姫命。
社伝によると、創建は平安時代前期の860年、大中臣・佐波近重が播磨國廣峯から勧請したと伝わる。中世以降、歴代領主の保護を受け、1408年若狭国守護・一色兵部少輔義貫が鳥居を造立、のち若狭国主・浅野長吉が神殿を建立、小濱藩主・酒井忠勝が1643年に社殿を改修、1645年に大鳥居を改修した。明治期以前は「天王社」、「祇園社」と尊称され、小浜城下の地主神として国主・藩主・藩士・氏子一般の崇敬を受けた。明治に入り「廣嶺神社」と改称し、近代社格制度のもと県社に列格した。
なお、境内社の「天満神社」の歴史も古く、社伝や『若狭郡縣志』によると、創建は平安時代中期の904年祀官第二世・大中臣近俊が勅命により菅原道真公を祀って創建。以後、歴代領主の崇敬を受け、国主・京極忠敬、酒井忠勝・忠直・忠囿などが、社殿や鳥居の造営・改修を行っている。
当社は、JR小浜線・小浜駅の北北東1kmの市街地の中、南川南西岸の平地にある。旧県社だが周辺が市街地であることからすると、境内はかつては広かったと思われるが、現在はあまり広くはない。ただ、境内社の天満神社があるので、見どころは揃っている。
今回は、福井県の旧県社であることから参拝することに。参拝時は休日の夕方で、自分以外には参拝者を見掛けなかった。
境内東端入口全景。大きめの鳥居が2つある変わった外観。
右側の鳥居だけ、大きな社号標が立っている。
右側の鳥居だけ、大きな社号標が立っている。
2つの鳥居のさらに南側、境内外側にある<手水舎>。
まず北側の鳥居から境内に入る。社号標には「縣社 廣峰神社」とある。
鳥居の手前左側の<狛犬>。新しくオーソドックスなもの。
鳥居の手前右側の<狛犬>。
鳥居をくぐって突き当りにある<神輿庫>。(Google Map上は「御神輿舞台」)
神輿庫の手前で右方向を向くと、<拝殿>全景。拝殿には屋根はあるが壁はない。
<拝殿>内部。吹きさらしの拝殿の奥に<本殿>がある。珍しい形式。
拝殿から振り返って境内全景。非常に大きな境内社が確認できる。
何本かの高木が天に向かってまっすぐ伸びているところに、古社らしさを感じられる。
何本かの高木が天に向かってまっすぐ伸びているところに、古社らしさを感じられる。
拝殿に向かって右手にある<稲荷神社>。
拝殿に向かって左手にある<永玉神社>(扁額より)。(Google Map上は、なぜか「船玉神社」)
境内を一度出て、2つの鳥居のうち、南側の鳥居から再び境内に入る。
社号標や扁額はないが、鳥居の両側に狛犬が立っている。
社号標や扁額はないが、鳥居の両側に狛犬が立っている。
参道左側の<撫で牛>。ここでやっとこの境内社が「天満宮」であることが分かる。
<天満宮>の社殿全景。境内社にも関わらず、平安時代からの歴史があり、地元のお殿様(小浜藩主・酒井忠勝公)の庇護があったというからスゴイ。(o^―^o)
<天満宮>の正面。中央上部に「天満宮」の扁額。
天満宮に向かって左手にある境内社。
最後に、廣嶺神社の社殿全景。旧県社としては敷地は狭いが、見どころはいっぱい。(^▽^)/
すてき
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惣一郎1269投稿
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