うわせじんじゃ
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【若狭國 式内社巡り】
宇波西神社(うわせ~)は、福井県三方上中郡若狭町気山にある神社。式内社(名神大)で、旧社格は県社。祭神は彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊(うがやふきあわせず/うがやふきあえず:産火火出見尊・豊玉姫命の御子神)。
社伝によると、飛鳥時代の701年に現在の美浜町日向で創建、平安時代の806年に現在地に遷座している。伝承では祭神の夢告により上瀬(社号の由来)の畔に祀ることとなったとし、合わせて地名を祭神の出身地である日向としたとしている。平安時代の927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「若狭國 三方郡 宇波西神社 小」に比定されている。なお北陸道352座の神社の中で唯一、月次新嘗の幣帛に預かる神社となっている。建武年間(1334年~1336年)、元亀年間(1570年~1573年)の二度、兵火により社殿を焼失している。現社殿は江戸時代末期1851年の造営。明治に入り、近代社格制度のもと県社に列格した。
当社は、JR小浜線・気山駅の北西500mの平地、耕作地帯の西端にある。境内東端入口のすぐ前に、県道244号線と宇波西川が通っている。境内はある程度の広さがあって、社殿の周りにたくさん境内社があるのが特徴で、神様のデパートのようになっている。
今回は、若狭國の式内社、福井県の旧県社であることから参拝することに。参拝時は休日の午後で、あいにくの天気だったこともあり、自分以外に参拝者は見掛けなかった。
境内東端入口から県道と宇波西川を渡ったところからの眺め。宇波西川に本格的な神橋が架かっている。後ろ側には長い参道が伸びている。
参道右側にある各種顕彰碑。中央は<行方久兵衛翁頌徳碑>。江戸時代の小浜藩士で治水対策に尽力した郡奉行だったとのこと。
境内東端入口の<一の鳥居>。社号標はないみたい。
一の鳥居をくぐってすぐ右手にある建物。石柱には<玉の舞堂>と刻まれている。
玉の舞堂の前に立っている<天狗>の像?(。´・ω・)?
参道進むと、小さな<神橋>がある。
参道右手の<手水舎>。
手水舎の水の出口は<鵜>かな?(。´・ω・)?
人感センサーで水が出るハイテク仕様。
参道右手の<社務所・神札授与所>。ネット上では御朱印を見掛けるが、参拝時は閉まっていた。
参道右手にある表札のない建物。氏子参集殿のようなものかな。
参道左手にある<儀礼殿>。
参道を進むと<二の鳥居>。くぐるとすぐ階段を登る。
階段左側の<狛犬>。けっこう古そうで年季が入っている。
階段右側の<狛犬>。凛々しい外観。上からの投影面積が狭いタイプ。
階段を登って<拝殿>正面。細かい彫刻や金具の細工が良い雰囲気を出している。
<拝殿>内部。
拝殿に向かって左手、少し離れたところにある<小美多麻社>。
小美多麻社から見た<社殿>全景。
本殿の左側、少し離れたところにある<八幡神社>。
最後に<社殿>全景。一帯の広大な耕作地を見守る鎮守といったところかな。(^▽^)/
名称 | 宇波西神社 |
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読み方 | うわせじんじゃ |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | なし |
詳細情報
ご祭神 | 《主》彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊 |
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創建時代 | 大宝元年(701) |
本殿 | 一間社流造 |
体験 | おみくじ絵馬御朱印お守り |
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