けひじんぐう
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氣比神宮ではいただけません
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氣比神宮のお参りの記録(1回目)
投稿日:2022年10月28日(金)
参拝:2022年10月吉日
【越前國 式内社巡り】
氣比神宮(けひ・じんぐう)は、福井県敦賀市曙町にある神社。式内社(名神大)で、越前國一之宮。旧社格は国幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。祭神は、伊奢沙別命(いざさわけ:笥飯大神(けひのおおがみ):御食津大神)、仲哀天皇、神功皇后、応神天皇、日本武尊、玉姫命、武内宿禰命。大鳥居は「日本三代鳥居」の1つにも数えられ、国指定の重要文化財となっている。
社伝によると、上古の時代に主祭神の伊奢沙別命(氣比大神)が当宮北東の天筒山に霊跡を垂れ、当宮境内北東部の土公の地に降臨したという。また仲哀天皇の時代に特に三韓征伐出兵に関し神功皇后、武内宿禰、玉依姫が氣比大神を祀り、仲哀天皇8年(199年)に当宮を創建、のち飛鳥時代の702年に文武天皇の勅により社殿が造営されたという。国史にもたびたび掲載され、『日本書紀』では持統天皇6年(692年)に社領増封の記載がある。平安時代の927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「越前國 敦賀郡 氣比神社七座 並名神大」に比定されている(※)。
南北朝争乱の1336年、当社大宮司・大宮司氏治(気比氏治)は後醍醐天皇を奉じて金ケ崎城を築き足利軍を迎えたが討ち死にし、社領を減じられたがなお24万石を所領したという。また戦国時代の1570年、大宮司憲直(気比憲直)等一族は織田信長の北伐に対抗したが敗北し社領は没収され、祭祀は廃絶した。江戸時代に入り1614年、福井藩祖・結城秀康が社殿を造営し社領100石を寄進した。明治時代になり、旧称「四社之宮」を「氣比神宮」と改称し、近代社格制度のもと国幣中社に列格した。
当宮は、JR北陸本線・敦賀駅の北方1kmの、敦賀湾にほど近い平地にある。当宮由緒にある天筒山は北東1km、金ヶ崎城址は北方1kmの位置にある。敦賀市街地の中にあり、境内は大社としては十分な広さはあるものの広大ではない。第二次世界大戦で米軍による敦賀大空襲で被災しているため、社殿や社叢はすべて戦後以降のものとなっている。唯一戦火で焼失しなかった大鳥居が国指定の重要文化財となっており、奈良の春日大社の大鳥居、廣島の厳島神社の大鳥居と合わせて「日本三代鳥居」にも数えられている。
今回は、越前國の式内社、越前國一之宮、旧国幣中社、別表神社であることから参拝することに。参拝時は休日の午前中で、わりと多くの人々が参拝に訪れていた。
※当社の境内摂社である次の5社も延喜式神名帳に記載のある「越前國 敦賀郡」の式内社。
「角鹿(つるかの)神社」、「大神下前(おおむわしものさきの)神社」、「天利剣(あめとつるぎの)神社」、「天比女若御子(あめひめわかみこの)神社」、「伊佐奈彦(いさなひこの)神社」。
境内西端入口にある<大鳥居>と<社号標>。
入口左側にある<狛犬>。現代的でオーソドックスなタイプ。
入口右側にある<狛犬>。
神橋を渡ったところにある<大鳥居>。江戸時代前期1645年の造営。木造朱漆の両部鳥居。
高さは約11m。国指定の重要文化財。
高さは約11m。国指定の重要文化財。
大鳥居をくぐると左側に<猿田彦神社>、右側に<社務所>があるが、一度パスして先に本殿に向かう。
本殿は参道の突き当りではなく、左に曲がって<中鳥居>をくぐったところにある。
本殿は参道の突き当りではなく、左に曲がって<中鳥居>をくぐったところにある。
参道左側にある<手水舎>。
参道を左に曲がると、神域入口の<中鳥居>がある。
<中鳥居>をくぐったところからの眺め。拝殿は左右に翼殿を備え大きく立派。
<外拝殿>全景。
<外拝殿>正面。
<外拝殿>内部。
拝殿に向かって左後方にある<授与所>。御朱印はこちら。
拝殿に向かって左手にある、摂末社が集まるエリアの入口に立つ鳥居。
鳥居をくぐって左手にある<伊佐々別神社>と<擬領神社>。
鳥居をくぐって、正面から右手にかけて立ち並ぶ7つの境内社。
左から順に<式内社・天弉奈彦神社>、<式内社・天弉奈姫神社>、<式内社・天利劔神社>、<鏡神社>、<林神社>、<金神社>、<剱神社>。
左から順に<式内社・天弉奈彦神社>、<式内社・天弉奈姫神社>、<式内社・天利劔神社>、<鏡神社>、<林神社>、<金神社>、<剱神社>。
鳥居をくぐって右手最奥にある<神明社外宮>(左)と<神明社内宮>(右)。
神明社近くから見た<本殿・(祭神)伊奢沙別命、仲哀天皇、神功皇后>。
写真で本殿の手前に写っているのが<西殿宮・武内宿禰>、左端に写っているのが<平殿宮・玉依姫>。
本殿の反対側には<東殿宮・日本武尊>と<総社宮・応神天皇>があり、これら4つを合わせて「四社之宮」と総称される。
写真で本殿の手前に写っているのが<西殿宮・武内宿禰>、左端に写っているのが<平殿宮・玉依姫>。
本殿の反対側には<東殿宮・日本武尊>と<総社宮・応神天皇>があり、これら4つを合わせて「四社之宮」と総称される。
境内北東部に移動し、その南端にある<式内社・角鹿(つるか/つぬが)神社>の鳥居。
当社名は当地名「敦賀」の由来であるとされる。
当社名は当地名「敦賀」の由来であるとされる。
<角鹿神社>の社殿。
鹿角神社の左隣(北側)にある<兒宮(このみや)>の鳥居。
<兒宮>の社殿。
兒宮の左隣(北側)にある<式内社・大神下前神社>の鳥居。
<大神下前神社>の社殿。
境内東北部にある<土公拝所>。上古に主祭神が降臨した場所。(;゚Д゚)
先にある盛り上がった土地が<土公>。後方の山が<天筒山>。
境内の南東部にある<亀の池>。写真右端に写っている屋根は<絵馬殿>。
中鳥居近くに立っている<ユーカリの木>。1936年に陸軍関係者が奉納したもの。
境内南端にある<芭蕉句碑>。
帰り道、大鳥居と中鳥居の間にある<社務所>。
帰り道、大鳥居と中鳥居の間にある<猿田彦神社>。
<猿田彦神社>の社殿。
最後に、国指定の重要文化財になっている<大鳥居>と<社号標>。(^▽^)/
すてき
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惣一郎1269投稿
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