おおみなとじんじゃ
大湊神社(雄島)のお参りの記録一覧
白雉年間(650年~654年)勧請と伝わる。
雄島に鎮座する。現在は橋が架けれられており、橋を渡って参拝できる。
海上守護の神として崇敬を集め三国港に寄港する船舶は必ず参詣したという。
1186年源義経が奥州へ落ち延びる途中に参拝した。
永禄年間(1558年~1570年)朝倉義景が一門の祈願所に定めている。
織田信長の兵火で焼失したが、1621年福井藩主・松平忠直により本殿、拝殿が再建されている。
拝殿
拝殿
拝殿
本殿
本殿覆屋
東尋坊
雄島
雄島
雄島
雄島
雄島
坂井市三国町安島の大湊神社(雄島)⛩️
台風の影響も少なく、波が少しある程度でした🌊
御竜印いただきに来たが、島の社務所が閉まってたので陸宮へ向かいます。
雄島
🌊
閉まってた社務所
石段あがれ〜👣
社殿
背後の本殿
鳥居から東尋坊👀
島の入り口の狛犬さん
御祭神
三保大明神(三尾大明神)
事代主神 少彦名神 天照皇大神
伊邪那岐神 伊邪那美神 応神天皇
越前の三国町安島の雄島に鎮座⛩️(本宮)
雄島は約1,300万年前の溶岩からできた島なんだそうです。
自然豊かで板状の岩が何枚も重なった景観らしいのですが………雨が降りそうだったので、
本宮の拝殿まであがりました🙏
拝殿からの見た景色
小さいですが、鳥居の真ん中には東尋坊が見えます。
雨が降りそうなので、この先は行くのやめました🥲
だんだん暗くなり、早足で車🚗まで戻りました。🚗に乗ったとたん、大雨が降ってきました😆濡れずにすみました🙌
御守、御朱印等は陸宮(本殿)、本宮の入り口の小屋(?)に置いて下さってます。
陸宮で拝受した御朱印、こちらにも置いてありました。
陸宮で拝受した御朱印、こちらにも置いてありました。
越前国坂井郡の式内社です。鎮座している雄島自体を御神体とした古い祭祀形態を持つ神社で、この地を拠点にしていた三尾君という豪族が祀っていました。それから現在まで動かぬ島にて変わらぬ信仰を持ち続けていたことで、多くの伝承や逸話が残っています。
《一の鳥居》
雄島までは橋が掛かっていますが、昔は船でしか行けませんでした。
《雄島全体図》
島自体をぐるっと一周できます。
《表参道》
《手水舎》
大きな甕の側面に漢字か模様か何かの絵のようなよくわからないものが彫られています。
《拝殿》🙏
非常に古めかしく素敵な雰囲気ですね。
《拝殿について》
建物とともに安置されている伊邪那岐命さまの坐像が重要文化財に指定されています。
伊邪那岐命さまは明治に合祀されています。
《拝殿前の鳥居》
東尋坊が向こう側に見えています。
《沿岸沿い》
雄島の沿岸部は柱状節理、板状節理といった岩が板のように隆起した形になっていてとても興味深いです。
【初めてきた雄島】
延喜式らしいのですが、わたしにとっては、
•入り口の狛犬の高さがハンパないこと
•なかの鳥居が自然作りで見たことない!
この辺りが印象的でした。
海側の景色もよかったです。
島でなく、陸の大湊神社で貰った御朱印。
高潮対策?
こんな高い位置の狛犬、初めてです!
扁額
さて、入っていきます
鳥居??
ステキ過ぎます!
「文化」の歴の灯籠は初めてみました。
文化は西暦1804-1818年だそうです。ロシアなど外国がやってき始めた時代です。
手水舎。
拝殿
海へ。
海側から見て。
ここも文化の作。文化二年は1815年。
いい天気!
10年ほど前に参拝しています。東尋坊の近くにある神社さんです。
雄島という島にあるのですが、この島は心霊スポットのようです。
私はオカルト的なものは全く信じていません。ですので「死後も霊として漂う」というのは死者への侮辱ととらえているのでこういう言い方は好きではありません。死者は生者を温かく見守ってくれているという考えが好きです。
そんな私ですが、正直に言うと、この島に入った時に何となく嫌な空気がしたのを今でも覚えています。ほんとに何も知らなかったので反時計回りに島を一周しています。あとからいろいろ調べて「ああ、そうなんだ」と思った記憶があります。
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