われいじんじゃ
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御朱印 (1種類)
和霊神社でいただける御朱印は1種類です。
和霊神社の御朱印

右上に「愛媛縣宇和島鎮座」印が押され、続けて「山頼社」と墨書きされています。
真ん中に「和霊神社」と墨書きされ、神社印が下に重ねられています。
左下に「和霊神社社務所印」が日付に重ねられています。
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愛媛県宇和島市に鎮座する和霊神社さんにお参りしました。
今回、宇和島に立ち寄るにあたって、和霊神社さんは外せないな!と思っていたので、お参りできてよかったです。
<主祭神>
山家清兵衛公頼命
<配神>
山家治郎命(清兵衛次男)
山家丹治命(清兵衛三男)
山家美濃命(清兵衛四男)
塩谷内匠命(家従)
塩谷帯刀命(内匠長男)
塩谷勘太郎命(内匠次男)
山家公頼とその息子たちをお祀りしている神社です。
元和6年6月29日の和霊騒動にて殺害された山家公頼の御霊を鎮めるために創建されたとのこと。
以下、詳しい御由緒は和霊神社HPより
当和霊神社は宇和島藩祖伊達秀宗の家老山家清兵衛公頼公の御霊をお祀りしております。
祭神清兵衛公は仙台伊達政宗の長子秀宗が父と共に出陣した関が原の役、大阪冬の陣の戦功により徳川家より宇和島十万石を賜ったおり、父政宗が若輩の秀宗を案じ自身の信頼する清兵衛公をその家老に抜擢し随伴させました。
当時宇和島は相次ぐ戦乱や領主の悪政により疲弊困憊し惨憺たる状態であった中、生来純忠篤実な清兵衛公はよく藩主を補佐し藩費の節約をはじめ租税の軽減、産業の奨励、武備の充実など逐次推進された結果、民生は安定し、藩政は大いに刷新されました。
その結果清兵衛公の徳望は生き神の如く仰がれました。
しかしこの事は却って一部の藩士から妬まれ反感を買い、遂に元和六年六月二十九日夜、彼等一味の兇刃に倒れその生涯を閉じました。
其の後、清兵衛公を敬仰する藩民をはじめ藩主藩士に至るまで清兵衛公の御霊を和め奉らんと小祠を建て崇敬の誠を捧げ、承応二年六月二十三・二十四日に朝廷より承認を経て正式に山頼和霊神社として承祀されました。 爾来霊験あらたかにして神威益々の発展の一途をたどりましたが昭和二十年七月二十八日、宇和島空襲によって社殿全域灰燼に帰しましたが広大無辺のご神徳のもと奉賛会の赤誠により逸早く復興にかかり次々に境内は復興され旧に増す荘厳さと殷賑を極め日本各地の和霊信仰の総本社として尊崇を集めています。

一の鳥居

二の鳥居
大きな鳥居だなと思っていたら、石造りの鳥居としては日本一なんだそうです。
そして、その向こうに見えるのは須賀川に架かる神幸橋(みゆきばし)



神幸橋手前には立派な灯籠

緩やかな太鼓橋になっています

橋を渡るといよいよ神門です


神門内でふと左上を見上げると・・・お多福

お多福の向かい側には鼻髙面

手水舎

さて、石段をのぼって拝殿に向かいます

かっこいい拝殿。
昭和20年の空襲で焼失してしまったそうで、現在の拝殿は昭和26年に建てられたもの。

拝殿内

拝殿の片隅には牛鬼

本殿

迫力ある龍が描かれています

若宮神社

神輿庫




御神木
樹齢450年以上の大銀杏です

神馬社

御井神社

山本神社

竃神社


三島神社

授与品
授与品をもっと見る|| 名称 | 和霊神社 |
|---|---|
| 読み方 | われいじんじゃ |
| 通称 | われいさん |
| 参拝にかかる時間 | 約20分 |
| 参拝料 | なし |
| 御朱印 | あり |
| 限定御朱印 | なし |
| 御朱印帳に直書き | あり ■お書き入れ
|
| 御朱印の郵送対応 | なし |
| 御朱印帳 | あり |
| 電話番号 | 0895−22−0197 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
| メールアドレス | wareijinja@siren.ocn.ne.jp |
| ホームページ | https://wareijinja.fc2.net/ |
| お守り | あり |
| 絵馬 | あり |
| SNS |
詳細情報
| ご祭神 | 山家清兵衛公頼公 |
|---|---|
| ご神体 | 不詳 |
| 創建時代 | 承応二年(1653年) |
| 創始者 | 伊達秀宗 |
| ご由緒 | 当和霊神社は宇和島藩祖伊達秀宗の家老山家清兵衛公頼公の御霊をお祀りしております。
当時宇和島は相次ぐ戦乱や領主の悪政により疲弊困憊し惨憺たる状態であった中、生来純忠篤実な清兵衛公はよく藩主を補佐し藩費の節約をはじめ租税の軽減、産業の奨励、武備の充実など逐次推進された結果、民生は安定し、藩政は大いに刷新されました。 その結果清兵衛公の徳望は生き神の如く仰がれました。
其の後、清兵衛公を敬仰する藩民をはじめ藩主藩士に至るまで清兵衛公の御霊を和め奉らんと小祠を建て崇敬の誠を捧げ、承応二年六月二十三・二十四日に朝廷より承認を経て正式に山頼和霊神社として承祀されました。 爾来霊験あらたかにして神威益々の発展の一途をたどりましたが昭和二十年七月二十八日、宇和島空襲によって社殿全域灰燼に帰しましたが広大無辺のご神徳のもと奉賛会の赤誠により逸早く復興にかかり次々に境内は復興され旧に増す荘厳さと殷賑を極め日本各地の和霊信仰の総本社として尊崇を集めています。
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| ご利益 | 病気平癒厄除け家内安全五穀豊穣 |
| 体験 | 祈祷おみくじお宮参り絵馬七五三御朱印お守り祭り武将・サムライ伝説夏詣 |
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