まえがみじ
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前神寺ではいただけません
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前神寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2024年08月18日(日)
参拝:2024年7月吉日
1泊2日四国八十八か所巡り。2日目の9寺院目です。
吉祥寺からの移動時間はあまりかかりませんでした。
境内は広く お堂や祠がいくつもあります。
驚いたのは本堂が今まで見たことがないほど大きいことです。
本堂の両サイドにも 名前を知らないのですが 廊下のようなものもあり コの字型になっています。
中央には石敷きの広場があり 儀式で使うと思われる区画(加持祈祷?)があります。
もうすぐタイムアップと思いつつ じっくり見て回りました。
林(森?)の中にあるため 木陰がちょうど涼しく 気持ちの良い風が吹いていました。
今日の最後を 素敵な寺院で締めくくれると思い とても嬉しかったです。
四国霊場 まだ先が長い 素敵な寺院に出会えますように。
山号は石鈇山 院号は金色院 宗旨宗派は真言宗石鈇派 寺格は総本山 ご本尊は阿弥陀如来 創建年は奈良時代の初期 開基は役小角です。
ご真言とご詠歌は
ご本尊真言:おん あみりた ていぜい からうん
ご詠歌:前は神後(うしろ)は仏(ほとけ)極楽の よろずの罪をくだくいしづち
由緒については
役の行者(役小角)が石鎚山の頂上を目指すもあまりの厳しさで諦めて下山しようとしたとき 斧(鈇)を砥石で磨ぐ老人に出会い 行者が問うと曰く「之は磨いて針にするのだ」と この言葉に行者は挫折してはならない「為せば成る」と自分に言い聞かせ再び頂上に向かい ついには登り着き修行を続けると釈迦如来と阿弥陀如来が衆生の苦しみを救済するため合体し石鈇蔵王権現となって現れたのを感得した。
その後 行者が当地(現在は石鎚神社中宮成就社のある場所)まで下山してきたとき「わが願い成就せり」と云ったといわれる。
そして その尊像を彫って祀ったのが当寺の開基とされている。
後に石仙(しゃくせん)が当地に堂を建て常住舎と云われた。
そして 弟子の寂仙[注釈 2]が山頂への登山道を整備した。
桓武天皇(782年〜805年)が病気を患った時 常住舎で平癒の祈願をし成就したことによって当地に七堂伽藍が建てられ勅願寺とし「金色院前神寺」の称号を下賜され 石仙には菩薩号を賜ったと伝えられる。
さらに空海(弘法大師)が19歳(793年頃)の時に石峯(石鎚山)に跨りてと『三教指帰』に自ら記しているように当山で修行をし 後年 当寺を巡錫している。
また 文徳天皇 高倉天皇 後鳥羽天皇 順徳天皇 後醍醐天皇など多くの歴代天皇の信仰が厚かったことでも知られ 当寺(常住)に1591年伊予の領主となった福島正則が参籠した。
徳川家にも崇敬され1610年豊臣秀頼が神殿を修築 福島正則がその普請奉行となる。
そして 西条藩主・小松藩主も厚く遇した。
なお 当寺は山頂の弥山に存在する石鈇蔵王権現社(現在の石鎚神社奥宮頂上社)の別当寺で 東の遥拝所でもあった。
とありました。
吉祥寺からの移動時間はあまりかかりませんでした。
境内は広く お堂や祠がいくつもあります。
驚いたのは本堂が今まで見たことがないほど大きいことです。
本堂の両サイドにも 名前を知らないのですが 廊下のようなものもあり コの字型になっています。
中央には石敷きの広場があり 儀式で使うと思われる区画(加持祈祷?)があります。
もうすぐタイムアップと思いつつ じっくり見て回りました。
林(森?)の中にあるため 木陰がちょうど涼しく 気持ちの良い風が吹いていました。
今日の最後を 素敵な寺院で締めくくれると思い とても嬉しかったです。
四国霊場 まだ先が長い 素敵な寺院に出会えますように。
山号は石鈇山 院号は金色院 宗旨宗派は真言宗石鈇派 寺格は総本山 ご本尊は阿弥陀如来 創建年は奈良時代の初期 開基は役小角です。
ご真言とご詠歌は
ご本尊真言:おん あみりた ていぜい からうん
ご詠歌:前は神後(うしろ)は仏(ほとけ)極楽の よろずの罪をくだくいしづち
由緒については
役の行者(役小角)が石鎚山の頂上を目指すもあまりの厳しさで諦めて下山しようとしたとき 斧(鈇)を砥石で磨ぐ老人に出会い 行者が問うと曰く「之は磨いて針にするのだ」と この言葉に行者は挫折してはならない「為せば成る」と自分に言い聞かせ再び頂上に向かい ついには登り着き修行を続けると釈迦如来と阿弥陀如来が衆生の苦しみを救済するため合体し石鈇蔵王権現となって現れたのを感得した。
その後 行者が当地(現在は石鎚神社中宮成就社のある場所)まで下山してきたとき「わが願い成就せり」と云ったといわれる。
そして その尊像を彫って祀ったのが当寺の開基とされている。
後に石仙(しゃくせん)が当地に堂を建て常住舎と云われた。
そして 弟子の寂仙[注釈 2]が山頂への登山道を整備した。
桓武天皇(782年〜805年)が病気を患った時 常住舎で平癒の祈願をし成就したことによって当地に七堂伽藍が建てられ勅願寺とし「金色院前神寺」の称号を下賜され 石仙には菩薩号を賜ったと伝えられる。
さらに空海(弘法大師)が19歳(793年頃)の時に石峯(石鎚山)に跨りてと『三教指帰』に自ら記しているように当山で修行をし 後年 当寺を巡錫している。
また 文徳天皇 高倉天皇 後鳥羽天皇 順徳天皇 後醍醐天皇など多くの歴代天皇の信仰が厚かったことでも知られ 当寺(常住)に1591年伊予の領主となった福島正則が参籠した。
徳川家にも崇敬され1610年豊臣秀頼が神殿を修築 福島正則がその普請奉行となる。
そして 西条藩主・小松藩主も厚く遇した。
なお 当寺は山頂の弥山に存在する石鈇蔵王権現社(現在の石鎚神社奥宮頂上社)の別当寺で 東の遥拝所でもあった。
とありました。
すてき
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くるくるきよせん2021投稿
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