よこみねじ
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横峰寺ではいただけません
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横峰寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2024年08月17日(土)
参拝:2024年7月吉日
1泊2日四国八十八か所巡り。2日目の7寺院目です。
いやぁ苦労しました。お寺にたどり着くまでに。
まず カーナビが示すポイントに向かうと それは有料道路を使わないという指定だったのですが 登山口でした。確かに駐車場っぽくなっていてトイレもありましたが どうも違う気がするのです。
えっ ここ?と思ってうろうろしていると ちょうど下山してきた女性がおられましたので声をかけてみました。まだお若い方で登山の服装でいらっしゃいました。
「ここから登って行けますよ。時間は私の足で1時間だったかな。でも私早足なので90分はみたらどうでしょう。」
えええええぇぇぇぇ。チノパンにポロシャツの私。妻も同様。無理無理無理。
ネットだと駐車場から下るって書いてあったのに。。。
「けっこう値段しますけど有料道路を使ったらすぐだったと思います。」
そっちかぁぁぁ。ありがとうございます。その若い女性が 観音様に見えました。
お礼を言ってから車をとばす。ロスタイムは往復で1時間以上。(悲)
さあて今度は有料道路・・・なにぃぃ・・・対向車来ないでくれぇの山道やんか。
ホトカミユーザー to_sunさんから教えていただいていた「難所」を思い出しました。
来ないで・・・来ないで・・・ふう2km・・・ここから有料道ろか。
なにぃ 駐車場代こみで1850円。高ぁ。それも8km。まだまだやん。
来ないで・・・来ないで・・・来ないで・・・何度かすれ違いながら無事駐車場に着きました。
さてここから下ると・・・そんなに下らないでぇ。帰りが辛いやん。
ということで円明寺さんから2時間以上かかってしまいました。
本堂も大師堂も立派で大満足でした。でも内陣はしっかり拝見できませんでした。
御朱印を拝受している際 奥様とお話できました。
「大変だったでしょ。車ですか。」 「はい車です。歩くとどんなもんですか?」
「いちばん近いお宿からでも3時間はかかりますかねぇ。」 「泊りがけの方が多いんですか?」
「よくわかりませんが 多いようですよ。」 「(車だったから仁王門がなかったんか)なるほど。」
帰りも大変だったことはお分かりいただけると思いますが 下ってきた道を上り 来るなぁの山道を9kmほど冷や冷やしながら進み ようやく次のお寺へたどり着いたのがもう夕刻でした。
ロスタイムなければあと4寺院は行けたかなぁ。
山号は石鈇山 院号は福智院 宗旨宗派は真言宗御室派 ご本尊は大日如来 創建年は(伝)白雉2年(651年) 開基は(伝)役小角 中興年は明治42年(1909年)です。
ご真言とご詠歌は
本尊真言:おん あびらうんけん ばざらだどばん
ご詠歌:たて横に峰や山辺(やまべ)に寺建てて あまねく人を救ふものかな
でした。
由緒については
寺伝によれば 白雉2年(651年)役行者が石鎚山を臨む星ヶ森で修行をしていたところ 山頂付近に蔵王権現が現れたのでその姿を石楠花の木に刻んで小堂を建て安置したのが創建といい その後行基が天平年間(729年 – 748年)に入山した。
また 延暦年間(782年 – 806年)石仙(灼然)が住持し桓武天皇の脳病平癒を成就したことから菩薩号を賜り 当寺には金の御幣(現存せず)を賜ったと伝えられる。
大同年間(806年 – 810年)には空海(弘法大師)が入山し星が森で星供養の修法をした際 蔵王権現を感得し 大日如来を刻んで本尊とし 堂宇を整備したという。
承応2年(1653年)澄禅が訪れたときには 蔵王権現(本地阿弥陀如来)を祀る本社があり その前に石仙を祀る開山堂 本社に対面するように大日如来および弘法大師を祀る本堂があったと記されている。
明治初年の神仏分離令によって 当寺は廃寺となり石鎚神社(当時は石鉄神社)の西遥拝所横峰社となることとなった。
本尊の大日如来像などは 仁王門から少し下がったとこから入った所に堂が建てられ納められ 横峰寺の名でははばかれるので 横峰寺が「おうみねじ」と読めることから同じ音である大峰寺と名付られた。
そして 60番札所は麓の清楽寺に移され 230余戸の檀家は香園寺へと移された。
明治8年(1875年)に正式に廃寺となる。
しかし 明治10年には遠くて祭祀に支障が出ているとのことで檀家総代より横峰寺の再建願いが出され 明治13年(1880年)にようやく檀信徒の協力により大峰寺の名前で復興し 1885年(明治18年)には札所が返納される。
そして 1909年(明治42年)に元の横峰寺の名に戻される。
とありました。
いやぁ苦労しました。お寺にたどり着くまでに。
まず カーナビが示すポイントに向かうと それは有料道路を使わないという指定だったのですが 登山口でした。確かに駐車場っぽくなっていてトイレもありましたが どうも違う気がするのです。
えっ ここ?と思ってうろうろしていると ちょうど下山してきた女性がおられましたので声をかけてみました。まだお若い方で登山の服装でいらっしゃいました。
「ここから登って行けますよ。時間は私の足で1時間だったかな。でも私早足なので90分はみたらどうでしょう。」
えええええぇぇぇぇ。チノパンにポロシャツの私。妻も同様。無理無理無理。
ネットだと駐車場から下るって書いてあったのに。。。
「けっこう値段しますけど有料道路を使ったらすぐだったと思います。」
そっちかぁぁぁ。ありがとうございます。その若い女性が 観音様に見えました。
お礼を言ってから車をとばす。ロスタイムは往復で1時間以上。(悲)
さあて今度は有料道路・・・なにぃぃ・・・対向車来ないでくれぇの山道やんか。
ホトカミユーザー to_sunさんから教えていただいていた「難所」を思い出しました。
来ないで・・・来ないで・・・ふう2km・・・ここから有料道ろか。
なにぃ 駐車場代こみで1850円。高ぁ。それも8km。まだまだやん。
来ないで・・・来ないで・・・来ないで・・・何度かすれ違いながら無事駐車場に着きました。
さてここから下ると・・・そんなに下らないでぇ。帰りが辛いやん。
ということで円明寺さんから2時間以上かかってしまいました。
本堂も大師堂も立派で大満足でした。でも内陣はしっかり拝見できませんでした。
御朱印を拝受している際 奥様とお話できました。
「大変だったでしょ。車ですか。」 「はい車です。歩くとどんなもんですか?」
「いちばん近いお宿からでも3時間はかかりますかねぇ。」 「泊りがけの方が多いんですか?」
「よくわかりませんが 多いようですよ。」 「(車だったから仁王門がなかったんか)なるほど。」
帰りも大変だったことはお分かりいただけると思いますが 下ってきた道を上り 来るなぁの山道を9kmほど冷や冷やしながら進み ようやく次のお寺へたどり着いたのがもう夕刻でした。
ロスタイムなければあと4寺院は行けたかなぁ。
山号は石鈇山 院号は福智院 宗旨宗派は真言宗御室派 ご本尊は大日如来 創建年は(伝)白雉2年(651年) 開基は(伝)役小角 中興年は明治42年(1909年)です。
ご真言とご詠歌は
本尊真言:おん あびらうんけん ばざらだどばん
ご詠歌:たて横に峰や山辺(やまべ)に寺建てて あまねく人を救ふものかな
でした。
由緒については
寺伝によれば 白雉2年(651年)役行者が石鎚山を臨む星ヶ森で修行をしていたところ 山頂付近に蔵王権現が現れたのでその姿を石楠花の木に刻んで小堂を建て安置したのが創建といい その後行基が天平年間(729年 – 748年)に入山した。
また 延暦年間(782年 – 806年)石仙(灼然)が住持し桓武天皇の脳病平癒を成就したことから菩薩号を賜り 当寺には金の御幣(現存せず)を賜ったと伝えられる。
大同年間(806年 – 810年)には空海(弘法大師)が入山し星が森で星供養の修法をした際 蔵王権現を感得し 大日如来を刻んで本尊とし 堂宇を整備したという。
承応2年(1653年)澄禅が訪れたときには 蔵王権現(本地阿弥陀如来)を祀る本社があり その前に石仙を祀る開山堂 本社に対面するように大日如来および弘法大師を祀る本堂があったと記されている。
明治初年の神仏分離令によって 当寺は廃寺となり石鎚神社(当時は石鉄神社)の西遥拝所横峰社となることとなった。
本尊の大日如来像などは 仁王門から少し下がったとこから入った所に堂が建てられ納められ 横峰寺の名でははばかれるので 横峰寺が「おうみねじ」と読めることから同じ音である大峰寺と名付られた。
そして 60番札所は麓の清楽寺に移され 230余戸の檀家は香園寺へと移された。
明治8年(1875年)に正式に廃寺となる。
しかし 明治10年には遠くて祭祀に支障が出ているとのことで檀家総代より横峰寺の再建願いが出され 明治13年(1880年)にようやく檀信徒の協力により大峰寺の名前で復興し 1885年(明治18年)には札所が返納される。
そして 1909年(明治42年)に元の横峰寺の名に戻される。
とありました。
山頂駐車場
下り坂の始まりです
0.1km すぐやん ではない気がしました
星月堂
歓喜天堂
大師堂
扁額
鐘楼
本堂
狛犬?
本堂アップ
扁額
内陣とまで言えないか
本堂から振り返って見て
納経所
手水
本堂を横下から見て
本堂前にお地蔵様
すてき
みんなのコメント(2件)
to_sun
くるくるきよせんさん
おはようございます。
横峰寺参拝 お疲れさまでした。
湯浪の登山口を案内されたのですね。
本格的な登山道。登りましたが確かに休み休み90分かかりました。暑さと納経時間も考えると回避して正解かと。
横峰寺でお気に入りなのは、奥の院です。天気が良いと鳥居越しに石鎚山を拝むことができます。
2024年08月18日(日)
なるほど 奥の院ですか。時間の都合でパスしてしまいました。
うー またの機会になってしまいました。
石鎚神社をぐるっと巡る時にでも 再チャレンジしたいと思います。
2024年08月18日(日)
投稿者のプロフィール
くるくるきよせん2064投稿
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