きちじょうじ|真言宗東寺派|密教山(みっきょうざん)
吉祥寺のお参りの記録一覧
![くるくるきよせん](https://minimized.hotokami.jp/VLBuyTKRXAPIrvNRBvAHWz__WZJrek2jtfzsKt6NZyw/s:30:30/q:20/plain/https://hotokami-user.s3.amazonaws.com/20221231-185127_R773pR4u7E.jpg@webp)
1泊2日四国八十八か所巡り。2日目の8寺院目です。
横峰寺から下りてきて とにかく一番近いお寺にと思ってお参りしました。
なにせ時間があまりなかったもので。
街中のお寺 車でささっと巡れるお寺 本当にほっとしました。
普段ならこんな気持ちにはならないのでしょうが さすがにこの日だけは違いました。
少し離れた駐車場に車を停め 立派な山門まで2分ほど歩きました。
境内は狭くはないのですが お庭は広くなかったですかね。
大師堂も本堂も すぐお勤めできますよという感じで すごくすっきり片付けられていて ご住職のお気持ちが伝わってきます。
成就石は 本来は本堂付近から目を閉じて金剛杖を持って石が置いてある場所まで歩いて行き 石に開いてある穴に金剛杖を突き通すと願いが叶うと伝わるそうですが 金剛杖ないので手を合わせてみました。御利益あるかな?
山号は密教山 院号は胎蔵院 宗旨宗派は真言宗東寺派 ご本尊は毘沙門天(毘沙聞天)(秘仏) 創建年は(伝)弘仁年間(810年 – 823年) 開基は(伝)空海(弘法大師)です。
ご真言とご詠歌は
本尊真言:おん べいしら まんだや そわか
ご詠歌:身の中(うち)の悪(あ)しき悲報を打ちすてて みな吉祥(きちじょう)を 望み祈れよ
でした。
由緒については
寺伝によれば 弘仁年間(810年 – 823年)に空海(弘法大師)が光を放つ檜から毘沙門天・吉祥天・善賦師童子を刻み 安置したのが起源といわれる。
そのころの寺は 現在地より南東にあたる坂元川谷間の山中の現在は吉祥寺藪と呼ばれている箇所にあり 塔頭を21坊も有するようになっていたが 豊臣秀吉の四国征伐の際 天正13年(1585年)に小早川隆景が高尾城を攻めたとき その山中にあった当寺も兵に放火され 全山焼失した。
本尊は助けだされ麓の大師堂のあったところに移されていたが 万治2年(1659年)に塔頭の檜木寺(かいぼくでら)と合併して現在の地に再建された。
とありました。
山門
象ですか?
扁額も木組みもかっこいい
鐘楼
手水は龍でした
大師堂
内陣
本堂
内陣
ポックリさん? 死に際のことね
成就石
納経所は右手
![sasaki3](https://minimized.hotokami.jp/gn0qcUiOASAEN0Ny9SxUVn7IVb26m21GQb3fZtm-1H4/s:30:30/q:20/plain/https://hotokami-user.s3.amazonaws.com/20231020-080032_IBwgbG1abR.png@webp)
吉祥寺 お遍路 四国八十八霊場(逆打ち)
吉祥寺 お遍路 四国八十八霊場(逆打ち)
吉祥寺 お遍路 四国八十八霊場(逆打ち)
吉祥寺 お遍路 四国八十八霊場(逆打ち)
吉祥寺 お遍路 四国八十八霊場(逆打ち)
吉祥寺 お遍路 四国八十八霊場(逆打ち)
![ミッフィー](https://minimized.hotokami.jp/zuWZcVFURnSj5NasX2iAcLfuCJePK2mvzim4ZICDZs4/s:30:30/q:20/plain/https://hotokami-user.s3.amazonaws.com/20241230-133504_3iBB1eQ0kX.jpg@webp)
■四国八十八ヶ所:第63番札所「吉祥寺(きちじょうじ)」です。
先の62番:宝寿寺から国道沿いに「すぐ」に到着します。
ただ「街の中」に位置するため、駐車場は少し離れます。(歩いて1分ほど)途中、JAの施設があり『駐車場ではありません』といくつも目にしました。おそらく「無断駐車」が多く、困った果ての「防衛」だと思います。私も車利用の巡礼で駐車場所に困ることもあります。でも、お互いに「迷惑駐車」はやめましょう。「少しくらい」はダメですよ~。「一台の行動」が「全てのドライバーの行動」に見え、一つの行動」が「いつもの行動」に見えてしまいますよ~。とても残念です。こんなに俗な私ですが「一事が万事」は正解と思っております。すみません。自分も気をつけます。
境内ではご年配のご婦人方が熱心にお経を唱えていました。
山門
本堂
大師堂
左から「成就石」「お迎え大師像」「くぐり吉祥天像」
![沙羅双樹の花](https://minimized.hotokami.jp/C171Dj27RQwG9GrkjxdTJlVItdibZDJEEyP3rtqEC9M/s:30:30/q:20/plain/https://hotokami-user.s3.amazonaws.com/20230129-002555_ZKOxCbDn2S.jpg@webp)
四国八十八ケ所霊場 第63番札所
山号:密教山
宗派:真言宗東寺派
御本尊:毘沙門天
四国八十八ケ所霊場の中で、唯一毘沙門天を御本尊にもつお寺さんです。
ご本堂
大師堂
くぐり吉祥天女
この像の下をくぐると、ご利益があるとされています。
いただいた御朱印
![to_sun](https://minimized.hotokami.jp/AdlJDZH76FnKyXjF69NmCwA72YcoTaw3CDcIXwmHgK8/s:30:30/q:20/plain/https://hotokami-user.s3.amazonaws.com/20220127-125632_c9Mskhr8LG.jpg@webp)
【密教山(みっきょうざん)胎蔵院(たいぞういん)吉祥寺(きちじょうじ)】
本尊:毘沙門天
宗派:真言宗東寺派
開基:弘法大師
吉祥寺は、弘仁年間(810-823)に弘法大師(774-835)がこの地を通りかかったとき、光を放っている檜を見つけ、霊気を感得、この霊木から毘沙門天・吉祥天・善膩師童子(ぜんにしどうじ)を彫り、安置したのがはじまりとされる。
当時は、坂元山(現在地より南へ約2kmほど登った標高368m地点)にあり、広い寺域に塔頭を21坊も有していたが、1585(天正13)年豊臣秀吉による四国平定の際に全山を焼失している。その後、江戸時代の1659(万治2)年、末寺であった檜木寺(かいぼくでら)と合併して、現在の地に再建されたと伝えられる。
【63_T.Hamada's view】
山門。
【63_くぐり吉祥天女】
毘沙門天を本尊とする札所。境内の「くぐり吉祥天女」像は、下をくぐるとあらゆる貧苦を取り除き、福を授けてくれると親しまれている。(四国霊場開創1200年記念絵はがき)
【63_くぐり吉祥天女】
【63_本堂】
改修中。
【63_大師堂】
【63_山門】
【63_龍の手水舎】
【63_成就石】
穴に金剛杖を通すと願いが叶うとされる。
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