こくぶんじ
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国分寺ではいただけません
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国分寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2023年06月05日(月)
参拝:2023年5月吉日
【金光山(こんこうざん)最勝院(さいしょういん)国分寺(こくぶんじ)】
本尊:薬師瑠璃光如来
宗派:真言律宗
開基:行基菩薩
伊予国分寺は、諸国国分寺と同様、741(天平13)年、第45代 聖武天皇(在位724-749)の勅命により行基菩薩が開創した。その後、弘法大師(774-835)がここに滞在した際に五大明王の画像を奉納したとされる。当時は、高さ60mもの七重塔がそびえる大寺院だったが、堂宇は、藤原純友の乱、源平合戦、南北朝の動乱、天正の兵火(長宗我部の兵火)など4度の戦火により焼失を繰り返している。しばらくの間、茅葺きの小堂が寂しく建つのみだったという。江戸時代の後期になってようやく再興が進み、本堂は1789(寛政元)年に恵光上人が金堂として建立している。国分寺の隣には、鎮守として奈良の春日大社から御分霊を勧請(かんじょう)した春日神社がある。
本尊:薬師瑠璃光如来
宗派:真言律宗
開基:行基菩薩
伊予国分寺は、諸国国分寺と同様、741(天平13)年、第45代 聖武天皇(在位724-749)の勅命により行基菩薩が開創した。その後、弘法大師(774-835)がここに滞在した際に五大明王の画像を奉納したとされる。当時は、高さ60mもの七重塔がそびえる大寺院だったが、堂宇は、藤原純友の乱、源平合戦、南北朝の動乱、天正の兵火(長宗我部の兵火)など4度の戦火により焼失を繰り返している。しばらくの間、茅葺きの小堂が寂しく建つのみだったという。江戸時代の後期になってようやく再興が進み、本堂は1789(寛政元)年に恵光上人が金堂として建立している。国分寺の隣には、鎮守として奈良の春日大社から御分霊を勧請(かんじょう)した春日神社がある。
【59_T.Hamada's view】
春祭りの境内入口。
春祭りの境内入口。
【59_握手修行大師】
「握手修行大師」は、一つだけ願いを込めて握手すれば、願いが叶うとされる。あれもこれも欲張らず、一つだけ大切な願いを祈ってみては。(四国霊場開創1200年記念絵はがき)
「握手修行大師」は、一つだけ願いを込めて握手すれば、願いが叶うとされる。あれもこれも欲張らず、一つだけ大切な願いを祈ってみては。(四国霊場開創1200年記念絵はがき)
【59_握手修行大師】
【59_本堂】
【59_大師堂】
【59_薬師如来座像】
【59_薬師如来の薬壺】
【59_弁財天】
とく・とく弁天(功徳・福徳円満)。
とく・とく弁天(功徳・福徳円満)。
【59_七福神石仏】
すてき
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