えんめいじ
御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方
延命寺ではいただけません
広告
延命寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2024年09月05日(木)
参拝:2024年8月吉日
3回目の1泊2日四国八十八か所巡り 1日目の9寺院目です。
せっかく雨が上がったと思っていたら また降り出しました。それも強く。
納経所の方が言うには こちらの地方では雨は1か月ぶりだとか。なら仕方がないですね。
こちらの延命寺さん 何度も戦火にあい 再建されたり移転されたりしてきたそうです。
仁王門も含め いつ再建されたのか分かりませんが 境内の建物は古く感じました。
本堂の御本尊の不動明王は60年に1度開帳の秘仏でしたが 左脇には五大明王の大威徳夜叉明王と金剛夜叉明王 右脇には降三世夜叉明王と軍荼利夜叉明王が拝観できます。
写真でも分かると思いますが これがまた古いもので 拝観できて嬉しかったです。
石段を上がったところに大師堂があり そちらの内陣も美しかったです。
花の寺としても有名だそうですが 時期が良くなかったこともあり 素敵なお花に出会うことはありませんでした。
境外にも鐘楼があり こちらは大戦中の供出から免れたものだそうです。
緑青だと思いますが 緑色の梵鐘は 趣があって美しいです。
山号は近見山 院号は宝鐘院 宗旨宗派は真言宗豊山派 ご本尊は不動明王 創建年は(伝)養老4年(720年) 開基は(伝)行基です。
ご真言とご詠歌は
本尊真言:のうまくさんまんだ ばざらだん せんだ まかろしゃだ そわたや うん たらた かんまん
ご詠歌:くもりなき鏡の縁とながむれば 残さず影をうつすものかな
でした。
由緒については
寺伝によれば 聖武天皇の勅願を受けて 養老4年(720年)行基が不動明王を刻み現在地の北の近見山(標高243.5 m)の山頂に堂宇を建立して開基。
弘仁年間(810年 – 824年)には 空海が嵯峨天皇の勅命によって再興し 不動院圓明寺と名付けたという。
凝然国師供養塔(中央)左端は庄屋越智孫兵衛の墓 右端は真念の遍路石。
かつては谷々に百坊を有し信仰と学問の中心であった。
とありました。
せっかく雨が上がったと思っていたら また降り出しました。それも強く。
納経所の方が言うには こちらの地方では雨は1か月ぶりだとか。なら仕方がないですね。
こちらの延命寺さん 何度も戦火にあい 再建されたり移転されたりしてきたそうです。
仁王門も含め いつ再建されたのか分かりませんが 境内の建物は古く感じました。
本堂の御本尊の不動明王は60年に1度開帳の秘仏でしたが 左脇には五大明王の大威徳夜叉明王と金剛夜叉明王 右脇には降三世夜叉明王と軍荼利夜叉明王が拝観できます。
写真でも分かると思いますが これがまた古いもので 拝観できて嬉しかったです。
石段を上がったところに大師堂があり そちらの内陣も美しかったです。
花の寺としても有名だそうですが 時期が良くなかったこともあり 素敵なお花に出会うことはありませんでした。
境外にも鐘楼があり こちらは大戦中の供出から免れたものだそうです。
緑青だと思いますが 緑色の梵鐘は 趣があって美しいです。
山号は近見山 院号は宝鐘院 宗旨宗派は真言宗豊山派 ご本尊は不動明王 創建年は(伝)養老4年(720年) 開基は(伝)行基です。
ご真言とご詠歌は
本尊真言:のうまくさんまんだ ばざらだん せんだ まかろしゃだ そわたや うん たらた かんまん
ご詠歌:くもりなき鏡の縁とながむれば 残さず影をうつすものかな
でした。
由緒については
寺伝によれば 聖武天皇の勅願を受けて 養老4年(720年)行基が不動明王を刻み現在地の北の近見山(標高243.5 m)の山頂に堂宇を建立して開基。
弘仁年間(810年 – 824年)には 空海が嵯峨天皇の勅命によって再興し 不動院圓明寺と名付けたという。
凝然国師供養塔(中央)左端は庄屋越智孫兵衛の墓 右端は真念の遍路石。
かつては谷々に百坊を有し信仰と学問の中心であった。
とありました。
すてき
投稿者のプロフィール
くるくるきよせん2023投稿
ホトカミ見ました! で広がるご縁
ホトカミを見てお参りされた際は、もし話す機会があれば住職さんに、「ホトカミ見てお参りしました!」とお伝えください。
住職さんも、ホトカミを通じてお参りされる方がいるんだなぁと、ホトカミ無料公式登録して、情報を発信しようという気持ちになるかもしれませんし、
「ホトカミ見ました!」きっかけで豊かな会話が生まれたら、ホトカミ運営の私たちも嬉しいです。