たいさんじ
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泰山寺ではいただけません
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泰山寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2023年06月02日(金)
参拝:2023年4月吉日
【金輪山(きんりんざん)勅王院(ちょくおういん)泰山寺(たいさんじ)】
本尊:地蔵菩薩
宗派:真言宗醍醐派
開基:弘法大師
今治を流れる蒼社(そうじゃ)川は、梅雨になると氾濫し犠牲者が出ていたため、村人は人取(ひととり)川と呼んで恐れていた。そこへ訪れた弘法大師(774-835)は、村人たちと堤防を築き、「土砂加持(どしゃかじ)(川で亡くなった人の祈祷)」の秘法を七座にわたって行った。その満願の日に現れた延命地蔵菩薩を彫り、本尊としたのが寺のはじまりとされている。寺はその後大いに栄えたものの、何度かの兵火により徐々に縮小し、山頂から移り、現在地は、大師が寺を開いた際に植えた「不忘松(わすれずのまつ)」があった場所とされている。不忘松は残念ながら枯れてしまったが、切り株は今も残り、傍には3代目にあたる子孫が植えられている。
本尊:地蔵菩薩
宗派:真言宗醍醐派
開基:弘法大師
今治を流れる蒼社(そうじゃ)川は、梅雨になると氾濫し犠牲者が出ていたため、村人は人取(ひととり)川と呼んで恐れていた。そこへ訪れた弘法大師(774-835)は、村人たちと堤防を築き、「土砂加持(どしゃかじ)(川で亡くなった人の祈祷)」の秘法を七座にわたって行った。その満願の日に現れた延命地蔵菩薩を彫り、本尊としたのが寺のはじまりとされている。寺はその後大いに栄えたものの、何度かの兵火により徐々に縮小し、山頂から移り、現在地は、大師が寺を開いた際に植えた「不忘松(わすれずのまつ)」があった場所とされている。不忘松は残念ながら枯れてしまったが、切り株は今も残り、傍には3代目にあたる子孫が植えられている。
【56_T.Hamada's view】
本堂
本堂
【56_不忘松】
弘法大師が土砂加持を行い、近くの蒼社川の氾濫を鎮め開創された。開創の際、大師が「仏の恩、大自然の威力、人の愛を忘れるな」と諭し、植えたとされる「不忘松」が今も伝わる。(四国霊場開創1200年記念絵はがき)
弘法大師が土砂加持を行い、近くの蒼社川の氾濫を鎮め開創された。開創の際、大師が「仏の恩、大自然の威力、人の愛を忘れるな」と諭し、植えたとされる「不忘松」が今も伝わる。(四国霊場開創1200年記念絵はがき)
【56_不忘松】
3代目。
3代目。
【56_大師堂】
【56_龍の手水舎】
【56_龍泉寺(泰山寺奥之院)】
養老年間(717-724)、行基菩薩の開基で自ら不動明王を刻み安置して天聖院と称したと伝わる。1610(慶長15)年には今治藩主藤堂高虎の祈願所となった。
養老年間(717-724)、行基菩薩の開基で自ら不動明王を刻み安置して天聖院と称したと伝わる。1610(慶長15)年には今治藩主藤堂高虎の祈願所となった。
【56_十一面観世音菩薩(泰山寺奥之院)】
仏堂の正面には鏝絵(こてえ)の十一面観音が掲げられている。
仏堂の正面には鏝絵(こてえ)の十一面観音が掲げられている。
【56_玉澄さんの大楠】
泰山寺から、南へ800mの住宅街にある。第51番札所 石手寺とゆかりが深い越智玉澄(玉純)(おちたまずみ)の墓がこの幹の下にあるといわれている。
泰山寺から、南へ800mの住宅街にある。第51番札所 石手寺とゆかりが深い越智玉澄(玉純)(おちたまずみ)の墓がこの幹の下にあるといわれている。
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