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ひろせじんじゃ

廣瀬神社の御由緒・歴史
愛媛県 伊予中山駅

ご祭神天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)
高皇産霊神(たかみむすびのかみ)
神皇産霊神(かみむすびのかみ)
ご由緒

口伝に依れば第60代醍醐天皇の延長4年(926)の春、土佐の人士・篤則なるものが従者2人を伴い本川村に来り田畑を開墾して農業を営み居りたるも、ある時、八頭の大獅子が間所(今の寺成組)の辺りに現れ廣ひ間、奴田を打ち田面を荒らすのでこの大獅子を上川の久保野組に追付けて射止めたるに依って其の矢の根を此の御本社に収め此の地方を「廣奴田の郷」と名称し、此の所の氏神として勧請奉斎せし。 第89代後深草天皇の建長2年(1250)に国司大田民部太夫大野伊勢守が土佐軍と大野ヶ原に対陣せしが戦況不利なる為、小田深山妙見ヶ森に退却して此処の産土神に戦勝を祈願し、うたた寝する事いくばくも無くして神夢を賜りて直ちに軍を大野ヶ原に進めて土佐軍を大いに撃退し勝利を得、此の郷を妙見ヶ森と改め神号もまた「妙見宮」と改称された。 爾後、大田家累代の祈願所18社の1社となり沢山の田地および社殿改築の用材に至るまで寄進され、蛇の目御紋章をも賜り崇敬が深かった。廣奴の郷の大田郷と改称し後世誤りて小田郷と言い後に「廣瀬神社」と尊称し奉れり。

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