だいほうじ
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大宝寺ではいただけません
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大宝寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2023年05月28日(日)
参拝:2023年5月吉日
【菅生山(すごうざん)大覚院(だいかくいん)大寶寺(だいほうじ)】
本尊:十一面観世音菩薩
宗派:真言宗豊山派
開基:明神右京・隼人
大寶寺の縁起は大和朝廷時代と古く、百済から渡来した僧が、十一面観音像をこの山中に安置したのがはじまりで、飛鳥時代になって701(大宝元)年、安芸(広島)からきた明神右京・隼人という兄弟の狩人が、十一面観音像を見つけ、庵に祀った際、ときの第42代 文武天皇(在位697-707)の勅命により寺院が建立され、元号にちなんで「大寶寺」と名付けられた。弘法大師(774-835)がこの地を訪れたのは、822(弘仁13)年で、密教を修法して、四国霊場に定め、これを機に天台宗だった宗派を真言宗に改めた。
その後は、天正の兵火をはじめ全焼の憂き目に何度も遭いながら、時の藩主や人々の寄進で再建されている。
本尊:十一面観世音菩薩
宗派:真言宗豊山派
開基:明神右京・隼人
大寶寺の縁起は大和朝廷時代と古く、百済から渡来した僧が、十一面観音像をこの山中に安置したのがはじまりで、飛鳥時代になって701(大宝元)年、安芸(広島)からきた明神右京・隼人という兄弟の狩人が、十一面観音像を見つけ、庵に祀った際、ときの第42代 文武天皇(在位697-707)の勅命により寺院が建立され、元号にちなんで「大寶寺」と名付けられた。弘法大師(774-835)がこの地を訪れたのは、822(弘仁13)年で、密教を修法して、四国霊場に定め、これを機に天台宗だった宗派を真言宗に改めた。
その後は、天正の兵火をはじめ全焼の憂き目に何度も遭いながら、時の藩主や人々の寄進で再建されている。
【44_T.Hamada's view】
本堂
本堂
【44_大わらじ】
お遍路もこのお寺で丁度半分。中間のヤマ場となるため、山門には88ヶ所最大級のおおわらじが奉納されている。(四国霊場開創1200年記念絵はがき)
お遍路もこのお寺で丁度半分。中間のヤマ場となるため、山門には88ヶ所最大級のおおわらじが奉納されている。(四国霊場開創1200年記念絵はがき)
【44_大わらじ】
【44_本堂】
【44_大師堂】
【44_仁王門】
【44_仁王阿形像】
【44_仁王吽形像】
【44_龍の手水舎】
【44_掘出観音堂】
1934(昭和9)年に大寶寺の山中から掘り出された金銅製の観音像をお祀りしている。身体から病気や悪霊を掘り起こしてくれる有り難い仏様といわれ、信仰されている。
1934(昭和9)年に大寶寺の山中から掘り出された金銅製の観音像をお祀りしている。身体から病気や悪霊を掘り起こしてくれる有り難い仏様といわれ、信仰されている。
【44_十一面観世音菩薩】
【44_子宝地蔵】
すてき
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