いわやじ
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岩屋寺ではいただけません
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岩屋寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2024年08月13日(火)
参拝:2024年7月吉日
1泊2日四国八十八か所巡り。1日目の5寺院目です。
大寶寺から車で15分ほどで駐車場に着きました。
問題はこれからで まあまあな坂道を上がっていきます。
下りてくる方から 「がんばってくださ~い」 と声をかけられ 逆に疲れてしまう感じです。
「しんどいっちゅうことやんか」 とぼやく漢字ですね。天邪鬼です。
ゆっくり歩いて20分ぐらいだったと思います 大きな崖と建物が目に入りました。
「えぇぇぇぇ~~~」 と声が出るほど驚きました。
崖の下に建物があるのですが よくがけ崩れしないもんやと思うほどの崖なんです。
本堂も大師堂も それは古くて立派な建物なんですが それより崖が気になってしまいます。
一部本堂横から登れる梯子があったので 登ってみました。
昔の人はすごすぎる。こんな所にお寺を建立するなんて。
奥の院があるということで山門まで行ってみました。
納経所で鍵をあずかってから行く と書かれていたので 「こりゃやばいやつやん」 と諦めました。
洞窟の奥にお地蔵様があるというので そちらはスマホライトを頼りに行ってきました。
真夏ですが涼しくて気持ちよかったです。
拝受した御朱印の字が達筆すぎて読めません。
こちらは是非お参りしていただきたいと思いました。
山号は海岸山 宗旨宗派は真言宗豊山派 ご本尊は不動明王 創建年は(伝)弘仁6年(815年) 開基は(伝)空海(弘法大師)です。
ご真言とご詠歌は
本尊真言:のうまく さんまんだ ばざらだん せんだ まかろしゃだ そわたや うんたらた かんまん
ご詠歌:大聖(だいしょう)のいのる力のげに岩屋 石のなかにも極楽ぞある
でした。
由緒については
寺伝によれば 弘仁6年(815年)霊地を探して山に入った空海(弘法大師)は 山中で神通力を備えた法華仙人という女性と出会う。
仙人は空海に帰依して山を献上した。
空海は不動明王の木像と石像を刻み 木像は堂宇を建立して本尊として安置 石像は奥の院の岩窟に祀って秘仏とし 岩山全体を本尊としたという。
山号の「海岸山」は空海の作とされる「山高き谷の朝霧海に似て松吹く風を波にたとえむ」の歌による。
山中の霧を海にたとえた歌である。
鎌倉時代中期に時宗の祖一遍がこの寺に参篭したことは一遍聖絵に描かれている。
そして いつからか第44番大寶寺の奥の院とされていたが 明治7年に初代住職が着任した。
だが 明治31年(1898年)に仁王門と虚空蔵堂(祠)を残し堂宇と史料宝物のほとんどを焼失した。
その後 大正9年に大師堂 昭和2年に本堂 同9年に山門 同27年に鐘楼 同38年に宿坊 同53年に迫割不動堂と白山権現堂と順次再建されていった。
とありました。
大寶寺から車で15分ほどで駐車場に着きました。
問題はこれからで まあまあな坂道を上がっていきます。
下りてくる方から 「がんばってくださ~い」 と声をかけられ 逆に疲れてしまう感じです。
「しんどいっちゅうことやんか」 とぼやく漢字ですね。天邪鬼です。
ゆっくり歩いて20分ぐらいだったと思います 大きな崖と建物が目に入りました。
「えぇぇぇぇ~~~」 と声が出るほど驚きました。
崖の下に建物があるのですが よくがけ崩れしないもんやと思うほどの崖なんです。
本堂も大師堂も それは古くて立派な建物なんですが それより崖が気になってしまいます。
一部本堂横から登れる梯子があったので 登ってみました。
昔の人はすごすぎる。こんな所にお寺を建立するなんて。
奥の院があるということで山門まで行ってみました。
納経所で鍵をあずかってから行く と書かれていたので 「こりゃやばいやつやん」 と諦めました。
洞窟の奥にお地蔵様があるというので そちらはスマホライトを頼りに行ってきました。
真夏ですが涼しくて気持ちよかったです。
拝受した御朱印の字が達筆すぎて読めません。
こちらは是非お参りしていただきたいと思いました。
山号は海岸山 宗旨宗派は真言宗豊山派 ご本尊は不動明王 創建年は(伝)弘仁6年(815年) 開基は(伝)空海(弘法大師)です。
ご真言とご詠歌は
本尊真言:のうまく さんまんだ ばざらだん せんだ まかろしゃだ そわたや うんたらた かんまん
ご詠歌:大聖(だいしょう)のいのる力のげに岩屋 石のなかにも極楽ぞある
でした。
由緒については
寺伝によれば 弘仁6年(815年)霊地を探して山に入った空海(弘法大師)は 山中で神通力を備えた法華仙人という女性と出会う。
仙人は空海に帰依して山を献上した。
空海は不動明王の木像と石像を刻み 木像は堂宇を建立して本尊として安置 石像は奥の院の岩窟に祀って秘仏とし 岩山全体を本尊としたという。
山号の「海岸山」は空海の作とされる「山高き谷の朝霧海に似て松吹く風を波にたとえむ」の歌による。
山中の霧を海にたとえた歌である。
鎌倉時代中期に時宗の祖一遍がこの寺に参篭したことは一遍聖絵に描かれている。
そして いつからか第44番大寶寺の奥の院とされていたが 明治7年に初代住職が着任した。
だが 明治31年(1898年)に仁王門と虚空蔵堂(祠)を残し堂宇と史料宝物のほとんどを焼失した。
その後 大正9年に大師堂 昭和2年に本堂 同9年に山門 同27年に鐘楼 同38年に宿坊 同53年に迫割不動堂と白山権現堂と順次再建されていった。
とありました。
登山口にお土産屋さんが並ぶ
柱門
山門
いきなり階段が続く
不動明王が見守る
階段が終わったら坂道が続く
お地蔵様が見えて もう少しだと思った
急に見えた崖と建物
遍照閣かな
建物の上が崖
こちら納経所
こちらが洞窟の入口
お地蔵様がお迎え
ライトあるのですが 真っ暗
洞窟の奥にお地蔵様
本堂
内陣
本堂の木組み
奥之院の山門
納経所でお札と鍵を受けるとあります
大師堂
内陣
本堂に貼り紙 落石注意だと
崖に登ってみました
窪みに上がりました
納経所の屋根
本堂の屋根
階段から見下ろす
納経所
小さいけど庭
境内案内
下ってきて気づいた 修行大師像
山門横にもお地蔵様
すてき
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くるくるきよせん2060投稿
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