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かるのじんじゃ

軽之神社
愛媛県 木屋町駅

御朱印について
御朱印
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パーキング
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あゆさん
あゆさん
2021年01月24日(日)
18投稿

『軽之神社』を見つけたきっかけは『衣通姫伝説』
私が以前住んでいた大阪府泉佐野市の
『茅渟宮跡』に関係します。
小さい頃は茅渟宮跡(そとりひめ(衣通姫)とよんでいました。)でよく1人で遊んでいました。
大人になってから知った伝説。
『衣通姫伝説』古事記、日本書紀に記されています。
古事記、日本書紀では少し内容が違いますが
ちょっと危ない?切ない恋愛伝説です。
よかったら古事記と日本書紀で調べてみてください。
軽之神社から少し奥にも石碑のようなお墓の様な所がありますがとても狭い道です。
1年半前の時は写真を撮ったのですが
ちょっと横の大きな桜の木が怖かったので
削除しました。

この軽之神社に行くのにも少し迷いました。

私も茅渟の国から伊予の国に来ました(笑)
とても御縁を勝手に感じています。

軽之神社の自然

還熊八幡神社で参拝したあと
近くにある神社があるのを思い出し
行ってみることにしました。
途中、可愛いお花を発見!

軽之神社の建物その他

NTTさんの近くを通りました。
1年半ほど前に一度旦那様の運転で車では行ったことがありますが
今回は初めての道順なので…

軽之神社の周辺

地名もそれっぽい。

ちょっと行き過ぎた?
通り過ぎた?

軽之神社の周辺

やはり、行き過ぎていたので戻ります。
この地点で、やっとGoogleマップで検索する(笑)

軽之神社の周辺

見えてきました♪
奥の赤い屋根がそうです。

軽之神社の建物その他

『軽之神社』到着♪

軽之神社の本殿

裏に軽自動車1台なら停められます。

軽之神社の本殿

1年半前に来た時は
196号線沿いのパチンコJJの信号を山手に曲がって行きましたが、くねくね迷いました。
松山市方面からだと信号を右折になります。

軽之神社(愛媛県)

とても、よい眺めです。

軽之神社の本殿
軽之神社の本殿
軽之神社の本殿

御神輿用の木でしょうか?

軽之神社の本殿

こちらが、お社だと思います。

軽之神社の建物その他

反対側から。

軽之神社の歴史

説明書きです。

軽之神社の景色

すぐ横の池は緑ですが亀がいます。
覗くと寄ってきます。(亀さんの方が気づいたら)

軽之神社の動物

いました♪
前回来た時も猫ちゃんいました。
1年半前はもう少し小さかった。
たぶん、同じ猫ちゃんだと思います。

軽之神社の動物

この子はすぐ逃げちゃう。

軽之神社の動物

主がやって来ました。
堂々とした余裕っぷりが主だと思えました(笑)
この子は触らせてくれます。
お天気のいい日は
猫ちゃん達に会えるかも♪

軽之神社の建物その他

ここが『茅渟宮跡』
大阪府泉佐野市上之郷にあります。
小さい頃はここで1人でよく遊んでいました。
当時は、ブランコ、ジャングルジムなどの遊具が置いていました。
右手の建物の中は
十二単みたいな着物を着た女性の絵が幾つか飾っていたのを覚えています。
私が小さい頃でもすごく古かったのを覚えています。

軽之神社の建物その他

石碑です。
私が小さい頃は鍵がかけられていて
入ることは出来ませんでした。

軽之神社(愛媛県)

ご興味のある方はどうぞ。
交通の便は良くないです。
車が便利です。

これを書いている2021年1月時点では
大阪はコロナ感染者がまだ多いので
落ち着いてからをオススメします。

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歴史

 往昔、斯多那岐宮ともいい姫原社とも称えたという。地名の姫原、背後の山を軽の山というのも軽皇女の御名によるという。
 社記によれば昔、允恭天皇皇女軽太郎比売が斯多那岐宮に在り、その地に薨じたのを後の森に葬り古塚と称した。姫墓所の三字を刻んだ石塔は現存し、その傍らに木梨軽太郎の墓を並べ、霊社を吉原郷山田に建てて当社へ御分霊を合祀したという。
 河野、久枝、野田、野畠、光宗、森等の諸氏の尊崇厚く、再々神殿を改築したと伝えられている。

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軽之神社の基本情報

住所愛媛県松山市姫原町字奥の谷74番地
行き方
アクセスを詳しく見る
名称軽之神社
読み方かるのじんじゃ
電話番号089-926-3230
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。

詳細情報

ご祭神軽太子(かるのみこのみこと)
軽皇女(かるのひめみこ)
ご由緒

 往昔、斯多那岐宮ともいい姫原社とも称えたという。地名の姫原、背後の山を軽の山というのも軽皇女の御名によるという。
 社記によれば昔、允恭天皇皇女軽太郎比売が斯多那岐宮に在り、その地に薨じたのを後の森に葬り古塚と称した。姫墓所の三字を刻んだ石塔は現存し、その傍らに木梨軽太郎の墓を並べ、霊社を吉原郷山田に建てて当社へ御分霊を合祀したという。
 河野、久枝、野田、野畠、光宗、森等の諸氏の尊崇厚く、再々神殿を改築したと伝えられている。

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