しののめじんじゃ
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楽しみ方東雲神社のお参りの記録(2回目)
投稿日:2025年10月22日(水) 20時16分29秒
参拝:2025年10月吉日
夜中の参拝は途中で引き返しましたが、早朝にもう一度訪れました。
石段を登るのは、なかなか良い運動になりました。清々しい気分で仕事に向かえそうです。のんびりと早朝散歩する猫ちゃんにも遭遇しました。
御祭神ですが、愛媛県神社庁のサイトには
天穂日命、菅原道真公、
息長福玉命(おきながふくたまのみこと)、
奇足玉命(くしたるたまのみこと)
とあります。
ですが、拝殿脇の由緒書きには上記の三柱の前に天照皇大神、豊受大神 の二柱も加えられています。明治時代に伊勢神宮の分社を奉還した…とあるので、神社統制によって他の神社と合わせられたようです。
御由緒は…
文政6年(1823年)、松山藩12代藩主・久松定通が藩祖である久松定勝の霊をお祀りし、この霊を息長福玉命と称されました。天保8年(1837年)には朝廷から東雲霊神という神号を授かり、神社も「東雲霊社」と名付けられ、さらに「東雲大明神」となりました。
天保11年(1840年)には、城山の長者ヶ丘に正式な神殿が建てられ、以後、藩を挙げて崇敬される神社となりました。
明治13年(1880年)に「東雲神社」と改称され、県社に格上げされました。
石段を登るのは、なかなか良い運動になりました。清々しい気分で仕事に向かえそうです。のんびりと早朝散歩する猫ちゃんにも遭遇しました。
御祭神ですが、愛媛県神社庁のサイトには
天穂日命、菅原道真公、
息長福玉命(おきながふくたまのみこと)、
奇足玉命(くしたるたまのみこと)
とあります。
ですが、拝殿脇の由緒書きには上記の三柱の前に天照皇大神、豊受大神 の二柱も加えられています。明治時代に伊勢神宮の分社を奉還した…とあるので、神社統制によって他の神社と合わせられたようです。
御由緒は…
文政6年(1823年)、松山藩12代藩主・久松定通が藩祖である久松定勝の霊をお祀りし、この霊を息長福玉命と称されました。天保8年(1837年)には朝廷から東雲霊神という神号を授かり、神社も「東雲霊社」と名付けられ、さらに「東雲大明神」となりました。
天保11年(1840年)には、城山の長者ヶ丘に正式な神殿が建てられ、以後、藩を挙げて崇敬される神社となりました。
明治13年(1880年)に「東雲神社」と改称され、県社に格上げされました。
すてき
投稿者のプロフィール

Leaf131投稿
日本の歴史と文化と自然が融合している神社仏閣。以前は漫然と訪れるだけでしてが、2年前から御朱印を集めるようになり、もう少し体系的に理解を深められるように心がけています。もっと読む
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