まつやまじんじゃ
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楽しみ方松山神社のお参りの記録一覧

松山市の北側の峠に建つ神社で、社名にはありませんが東照宮の一つです。菅原道真公が左遷によって太宰府に向かう途中に温泉に入りに立ち寄ったとされる山崎の丘に地元住民が道真公を祀ったのが始まりとされ、その後松山城主が伊佐爾波神社境内に祀っていた東照宮を遷座して「松山神社」に改称しました。

《表参道》
暑い…影があるけど気温高い…

《由緒書き》

《参道の燈籠》
家康公400年祭記念として氏子地域の旅館や会社から奉納されています。

《鳥居》
貫が柱より横に飛び出していない「中山鳥居」と同じ様式です。

《社務所》

《手水舎》
水は流れています。洗ひつるここも…(略)

《参道からの景色》
松山市の発展を見てきたのでしょうね…

《神門》
県の重要文化財に指定されています。宮司さん曰く「国指定」の格上げを目指しているそうな。

《祭りの広告》

《拝殿》🙏
👁チェックポイント‼️
天満宮に遷座した東照宮ですが、この2社が意外な関係で結び付きます。松山城主は三代目の城主から松平定行公になりますが、この方は母方が松平家(徳川家の父方)と繋がり、父方が道真公の子孫とされています。両方の血筋を持った城主がそれぞれの祖神を祀る神社が合祀されているのです。
藩主の松平家は明治には道真公の子孫が名乗っていた久松氏に戻し、松山神社建立の際の当主だった定武さんは、その財を投じて松山城を土地ごと買うことで廃城を守ったそうです。これは古くから温泉街として歴史がありつつも、今後その一辺倒だけで観光客を招くことができないだろうし、入浴の前後で巡る場所が必要であろうと予測してのことだったと宮司さんが仰っていました。

《本殿》
日光東照宮に倣って権現造になっています。幣殿の両側に扉がついており理想的な権現造だと感じました。

《筆塚》
天満宮である名残ですね。ここと授与所の上だけ紙垂が吉田流じゃないんですよね。由来聞きそびれた…

《末社と力石》

《授与所》
御朱印をいただき、神社についての説明をしていただきました。30分ほど話が盛り上がってしまい、実は今松山神社から松山東照宮への改称を計画しているそうです。正直東照宮を名称とするほどの歴史はしっかり持っていると思っているので、心より応援しております。

《御朱印帳》

前日に近隣にある護国神社に行ったので久しぶりに松山神社にも参拝しました
こちらの桜も綺麗に咲いていました
宮司さんはとても話好きな方ですが先に来られていた参拝者の方とお話が弾んでおられたのでお声は掛けずにのんびり参拝して帰りました


石段
まあまあ長いですが勾配は緩やかで途中途中アスファルトの坂になっているので上り下りはそれほど苦にはならないです










松山城も見えます

長く松山に住んでいますが実は最近まで存じ上げなかった神社です
参拝した日は好天に恵まれ、道後の高台にある境内は明るい日差しに包まれていました
参拝をしたあと社務所にて御朱印と御守りを拝受しました
話好きな宮司さんのようで境内の掃除が腰に響くと嘆きつつも神社のご由緒を丁寧に説明してくださいました
ぜひまた訪れたい神社です

御朱印を直書きで戴きました
宮司さんのお人柄が窺える朗らかで丁寧な筆跡です

社殿正面です

三つ葉葵の御紋が立派ですね

スマホのナビは何故か裏口に通じる道を勧めてきます
徒歩の方は普通に目につく正面の石段からお参りしましょう

社殿へと続く石段です
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