真言宗豊山派鳴鐘山
東勝寺宗吾霊堂のお参りの記録一覧(2ページ目)
鳴鐘山東勝寺宗吾霊堂
「宗吾御一代記館」は、一人だと見学に少し躊躇するかも……です。
大本堂
身代り地蔵尊(宗吾父子地蔵尊)
仁王門
聖天堂
薬師堂
宗吾父子の御墓(処刑された場所)
歌舞伎や講談などの芸能で、「佐倉義民伝」として今日も演じられている佐倉惣五郎ゆかりのお寺です。
成田市観光協会のサイトには、以下の記述があります。
江戸時代初期、4代将軍徳川家綱の時代、今から約360年前のことです。
打ち続く凶作と過酷な重税に苦しむ農民たちを救うため、木内惣五郎(佐倉宗吾)ら6人の名主たちが幕府に農民の窮状を訴えました。
しかし、その訴状は受入れられず、木内惣五郎は、当時禁じられていた将軍への直訴を決行。
この直訴により、農民たちを苦しめていた重税が見直され、村々の願いはかなえられましたが、惣五郎は処刑されることに、惣五郎の家族までもがその対象となり、承応2年(1653年)8月3日、幼い子供らまで刑に処せられました。まさに命がけの直訴でした。
それから100年後、宝暦2年(1752年)、佐倉藩はその失政を悔い、木内惣五郎の名誉を回復し、「宗吾道閑居士」の法号を諡号(しごう)し、以来「宗吾様」と呼ばれるようになりました。
今では江戸時代の義民・佐倉宗吾様が祀られているお寺として、全国の信者が参拝に訪れています。
※引用終わり
ただ、ウィキペディア「佐倉惣五郎」では「代表的な義民として名高いが、史実として確認できることは少ない」としています。
境内には「宗吾御一代記館」があります。等身大の人形で伝承を13の場面で再現したものです。受付の方によると、地元の小学生は必ず一度は見学に来るそうです。
境内にはアジサイ園もありました。
佐倉惣五郎が処刑された場所に建つとされる墓。子ども4人も合葬されているとのことです。
最寄り駅の京成本線、宗吾参道駅近くにあった案内図
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