たちばなじんじゃ
橘樹神社のお参りの記録一覧
上総国二宮。姉崎神社に同じく日本武尊に縁のある神社。古事記にも登場。延喜式内社。
ちょうど2週間前にも橘樹神社に参拝していましたがそれは保土ケ谷。
初詣、上総神社巡り⑩上総国二宮の式内社です。日本武尊が東征した際、相模から上総へ渡ろうとした時に海上で暴風に遭い、日本武尊の妃・弟橘媛が海に身を投じて難を救ったことから、日本武尊が弟橘媛の御陵を作り、弟橘媛の櫛を納めて、橘の木を植えて祀ったのに始まると伝えられています。本殿の裏には実際に陵墓があります。以前参拝した橘樹神社も古墳があり、同じような伝承が残っています。神社由緒や神々の伝説はどれが真実なのか?真実は二の次で信じることが良いのか?行く先々で見て調べてみるのは面白い!
一の鳥居
社号標
天明五年(1785)奉納の二の鳥居
享保二年(1717)奉納の三の鳥居
安永六年(1777)奉納の灯籠
神橋
四の鳥居
宮ノ下遺跡説明板
天保十年(1839)奉納の灯籠
参道
騎馬武者像 誰なんだろう?
狛犬
狛犬
天水桶
拝殿
寛政十二年(1800)造営の本殿
狛犬(頭部が欠けていました)
本殿脇の手水舎
寛延元年(1748)奉納の手水鉢
弟橘比売命御陵
境内社鳥居
扁額天「手力雄命」
境内社 窟戸神社 本納城落城の際に遷座
境内社鳥居
扁額「木花咲耶姫命」
境内社 子安神社
境内社鳥居
扁額「保食命」
境内社 稲荷神社
力石
境内社 秋葉神社
吾妻池 陵墓を造営し多彩に掘った跡だとされます
境内社 粟嶋神社
手水舎
手水鉢
とても手入れのされている気持ちのよい神社でした。
神職の方が作業着でひとり、丁寧に境内のお掃除をされていらっしゃいました。
本殿には華美ではないものの品のいい彫り物が施されており素敵でした。
本殿の奥は、御祭神の墓陵となっていて無断にての立ち入りは厳禁と書いてありました。
他のWebサイトで後で知ったのですが、神社より許可を得て登っている猛者もおられるようで。。。
知っていたら私も登ってみたかったです!
御朱印は、印刷物されたものをいただく形になっています。
社号標
参道
拝殿
拝殿
本殿
本殿彫刻
窟戸神社
子安神社
稲荷神社
神社名わかりません
神社名わかりません
千葉県茂原市にある橘樹神社に初めての
参拝です
☘️たちばな神社🍀と読むそうです😀
一の鳥居から四の鳥居までありました
手水舎
拝殿
拝殿の前に狛犬が二体ずつ並んで
いました
橘樹神社(たちばな~)は、千葉県茂原市にある神社。式内社で、上総国二之宮。旧社格は県社。主祭神は弟橘比売命(おとたちばなひめ)。相殿神は日本武尊(弟橘比売命の夫)、忍山宿禰(おしやまのすくね;弟橘比売命の父)。
『古事記』、『日本書紀』によると、日本武尊の東征の際、相模から海路上総に渡る時暴風雨に遭い、弟橘媛が海に身を投じて日本武尊の難を救った記事があるが、社伝によると日本武尊が当地に弟橘媛の御陵を造り、弟橘媛の櫛を納めて、橘の木を植えた祀ったことに始まったとしている。国史の初見は『日本三代実録』で877年に神階奉授の記載があり、884年に神階昇叙と日本武尊、忍山宿禰合祀の記載がある。平安時代の927年に編纂された『延喜式神名帳』では、「上総国 長柄郡 橘神社 小」と記載されている。中世以降、上総国の二之宮となり、江戸時代の1681年には神階が最高位の正一位に達した。明治の近代社格制度の下では県社に列格した。
当社は、JR外房線・本納駅の北方1kmほどの平地にある。伊南房州通往還という幹線道路沿いにあって、境内はかなり広々としている。草木はやや少なめで、古木はあまりない。弟橘媛ゆかりの池や御陵があって、古事記・日本書紀の世界に思いを馳せることができる。
今回は、上総国の式内社、上総国二之宮、千葉県の旧県社であることから参拝することに。参拝時は週末の午前中で、自分以外には参拝者は見掛けなかった。
※実は参拝は2回目。前回は参拝時間が遅く、社務所が閉まっていたため御朱印を拝受できなかったので再参拝。
境内南端にある<一の鳥居>と<社号標>。この後、鳥居が4つ連続する珍しい造り。
<四の鳥居>の手前には、小さな<神橋>がある。
樹木は適度に間引かれ、雑草一つない境内は気持ちが良い。
やがて社殿まわりが見えてくる。元気な巨木が良い感じに境内を覆っている。
参道左手の<手水舎>。しっかりした屋根。
さらに進んで、参道右側の<社務所>。御朱印はこちら。
<拝殿>遠景。当社では、鳥居が4つもあって驚いたが、<狛犬>も3対立っている。
<拝殿>全景。落ち着いた色合いの神明造の拝殿。
<拝殿>正面。正面だけではなく、全ての扉が解放されている。
拝殿内にある扁額を覗き込んでびっくり!(;゚Д゚)
<橘木神社>の字は、鹿島神宮、香取神宮の扁額を書いた東郷平八郎伯爵の筆。戦前はそのぐらい社格が高かったということかな。
拝殿手前、右側にある<神輿庫>。
拝殿の左側から廻り込んで、<社殿>全景。
<本殿>および<幣殿>。本殿は神明造ではなく、幣殿が赤い屋根であるところからすると、それぞれの再建時期が違うのかな?
社殿の左手にある3つの末社。鳥居も社殿も、3つ大きさが違っているのが面白い。右から順(大きい方から順)に<窟戸神社>、<子安神社>、<稲荷神社>。扁額には<天手力雄命>、<木花咲耶媛命>、<保食命>とそれぞれの祭神が書かれている。
3末社の奥にある<弟橘比賣命御陵>の碑。ここから北側は、神域につき立ち入り禁止。
社務所近くまで戻って、社務所の対面にある境内社。
上の境内社の右隣にある、枯死した巨木の幹。かつての御神木かな?
少し参道から離れたところにある<吾妻社>。
最後に<拝殿>全景。落ち着いた佇まい。
橘樹神社(たちばな~)は、千葉県茂原市にある神社。式内社で、上総国二之宮。旧社格は県社。
社伝では、日本武尊が東征した際、相模から海路上総に向かって暴風に遭い、弟橘媛が海に身を投じて日本武尊を救ったことから、日本武尊が弟橘姫の御陵を造り、弟橘姫の櫛を納めて、橘の木を植えて祀ったことに始まるとしている。『古事記』にも、櫛が浜辺に流れ着き、これを御陵に納めるくだりがある。実際に本殿の背後には、弟橘比売命御陵とされる古墳があり、境内の吾妻池は墳墓を掘った跡の穴であると伝わる。
国史の初見は『日本三大実録』で平安時代の877年に神階を受けた記載がある。927年の『延喜式神名帳』では、「上総国長柄郡 橘神社」と記載されている。
江戸時代前期には、神階の最高位である正一位が授けられた。明治時代の近代社格制度において県社に列した。
当社は、JR外房線・本納駅の北方1kmの平地、道路沿いの住宅街にある。境内は県社らしく広くてゆったりしているが、手入れも行き届いている。社殿や摂末社は境内北方にコンパクトにかたまっている。
参拝時は週末の夕方、17時前で社務所はすでに閉まっていた。境内は人気はなかった。人懐っこいネコが数匹いた。
※時間が遅かったのでダメ元で参拝。後日、上総国の式内社巡りで再参拝予定。
境内入口の<一の鳥居>と<社号標>。
つづいて<二の鳥居>。
わずか数十mで<四の鳥居>。小さな<神橋>。
参道をまっすぐ進んで、突き当りに<社殿>。神明造の社殿が、<古社>の雰囲気を出していて良い感じ。
<拝殿>正面。雰囲気を味わっていると、何か違和感が。狛犬の形が変...
よく見たら、狛犬の上には三毛猫が。定位置なのか、慣れた感じでグルーミングしている。笑
社殿の左側に回って、<幣殿>と<本殿>。幣殿は長く、本殿は大きい。
社殿の左側にある末社群。右から順に<窟戸神社>、<子安神社>、<稲荷神社>。社ごとに社名の石碑が立っていて、鳥居の扁額には御祭神が記載されている。面白いことに、右から順に社殿が大中小になってが、鳥居も大中小になっている。
末社<秋葉神社>。
拝殿前から振り返った景色。広々した境内。きれいに掃き清められていて気持ちが良い。
社務所。本日はすでに終了(16:50)。
最後にもういちど<拝殿>全景。
上総国二宮。橘樹でたちばな。
やたらと注意書きの目立つところでした。お札の回収のところにはゴミを出さないようにとか、池のところにある末社にも注意書き。
社務所には人がいそうな感じなので、御朱印はもらえそう。
駐車場は広いのが隣にある。
この鳥居含めて4つ続いて中に
4つ目
拝殿に向かって左には3つ並んでまっしゃが。右から窟戸神社、子安神社、稲荷神社。
窟戸神社(いわと)
子安神社
池のところにも
最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。
ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ
2
0