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しょうかくじ|真言宗智山派萬徳山

勝覚寺の御由緒・歴史
公式千葉県 成東駅

歴史詳細情報

東国随一の四天王像

東国随一と言われる四天王は鎌倉時代に運慶が造ったと伝えられています。

各々2メートルを越す巨像で、堂々とした体躯を誇っています。

そして、その迫力あるお姿は参詣する者を圧倒し、800年間の永きに渡り、本尊の釈迦如来を護持し、信心の善男善女を守護して下さいます。

天気の良い日は堂内を自由に拝観できます。

編集:小杉秀文(勝覚寺 住職)公式
最終更新: 2021年06月22日(火)

目次

ご本尊釈迦如来(拈華微笑の花を持つお釈迦さま)
四天王(東国随一・千葉県指定文化財)
妙見菩薩(千葉氏の守護神)
おぴんづる様(賓頭廬尊・疫病退散の功徳)
創建時代947年(天暦元年)
開山・開基村上天皇
ご由緒

勝覚寺には鎌倉時代の運慶作と伝えられる、2mを超える四天王像がまつられています。
その四天王像が海から流れ着いた場所を四天寄(してんぎ=現在の大網白里市四天木)といいます。四天王を担いで運ぶ途中に休息して、担いだ肩を入れ替えた場所を片貝(かたかい=現在の九十九里町片貝)というように、地元の地名にもまつわる言い伝えが残されています。

歴史
歴史[編集] 寺伝によれば、勝覚寺は天暦元年(947年)、村上天皇の勅願寺として開かれたという。後、嘉暦元年(1326年)平常直が修復し明応9年(1500年)長覚が再興、天正19年(1591年)原氏が檀那となり修築したとされる[1][2]。江戸時代には十石二斗の寺領を受け、安政5年(1858年)には両国回向院で出開帳をした記録も残されている。旧本尊の釈迦如来像は、空海(弘法大師)が入唐求法より帰朝の際に請来したものと伝える[3]。 ^ 千葉県の地名, p. 744. ^ 山武郡郷土誌, p. 182. ^ 「境内のご案内」(勝覚寺サイト)、2020年1月18日閲覧
引用元情報勝覺寺」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%8B%9D%E8%A6%BA%E5%AF%BA&oldid=99953662

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