おおすぎじんじゃ
大杉神社のお参りの記録一覧
参拝記録。
開放感いっぱいの境内に本殿とお稲荷様が鎮座されていました。
狛犬が新旧合わせて4座います。
参道と鳥居、狛犬(旧)
境内は開放感いっぱい。暑いけど。
手前が本殿、奥はお稲荷様
狛犬(旧)
風化しちゃってますね
狛犬(新)
【銚子電鉄応援シリーズ3】
2006年経営難に陥ってwebサイトで助けを求め、奇跡の経営回復をした銚子電鉄。でも今だって応援は必要なはず!
というわけで、銚子電鉄で行ける神社に行ってきました😄
外川駅「大杉神社」
大杉神社さんへおうかがいするために外川駅へ。
銚子電鉄終点の外川には、古い車両の展示があり中にも入れるようになっていました。
漁師町歩き。楽しい。
着きました。
御祭神は、おそらく猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)様と言われています。
神社から海をみた景色。
いいお詣りでした。
銚子市外川地区にある大杉神社にお詣りしてきました。江戸時代初期銚子にイワシ漁を伝えた崎山次郎右衛門が作った港、外川港に鎮座する神社です。
前から気になっていた銚子石について調べて見ようと遠征してきました。
銚子市内に入ると一面キャベツ畑です。市街地に入っても至るところにキャベツ畑があります。潮風が吹いて塩害の影響はないのかな?とも思うのですが、これだけ作付けされているということは逆に土地に合っているのでしょう。郷土料理にサンマと大根を漬けた『後妻漬』がありますが、漬物屋さんに言わせると銚子産の大根でないとおいしく漬からないと言ってました。
外川港から内陸側に少し入ったところに石切場跡がありました。ここと犬吠埼の南側に石切場があったそうです。
転がっている石を見るとお目当ての銚子石でした。石がほとんど取れない鹿島周辺ではさかんに使われた材料で今でも古い神社の石段などに見ることかできます。砂岩なので加工しやすい利点はありますが、風化に弱く石碑などに使われると文字が判別出来なくなってしまうという難点があります。
石段にも使用されています。
社殿です。
お稲荷様です。
南向きの神社で海が近いです。漁に出る前にお詣りしたのでしょう。
当然石垣にも砂岩は使われています。
崎山次郎右衛門の碑です。さすがにこれは砂岩ではありませんでした。この人のイワシ漁が後の銚子だけで無く、利根川霞ヶ浦の産業に大きく影響したことは後ほど紹介します。
銚子市外川地区にある大杉神社にお詣りして来ました。(今回はお師匠様に再会することが出来ました。)
漁業のまち銚子の発祥となった、外川港に鎮座する大杉神社です。
開港当時は砂浜だったそうです。
社殿です。
今回の訪問はお師匠様に会うことなので、お詣りはほどほどにして目的地に向かいます。
大杉神社から山の手に向かうと、路地をいくつか隔てた先に外川駅があります。濡れ煎で有名なローカル線の銚子電鉄の駅です。
古い車両が、展示されています。このへんはシミさんの投稿を参考にして下さい。
今回の目的地、外川ミニ郷土資料館です。外川駅から徒歩2分程です。
このお姉さまがお師匠様です(私が勝手にお師匠様と言ってるだけですので、お姉さまにとっては私はただの一見さんです)。御年は伺っておりませんが、未成年時代に銚子の空襲に遭遇されています。お父様は、沖縄戦でお無くなりになったそうです。
私費でもってこの資料館を立ち上げ、銚子の歴史を後世に語り継ぐ為、孤軍奮闘されています。
私がお伺いしたとき開館時間を過ぎていたのですが、快く対応して頂きました。(ゴメナサイ次は次はもっと早い時間に行きます。)
お歳を感じさせないとてもパワフルなお方です。熱心に銚子の歴史を語って頂きました。
その最中時おり壁に寄りかかり体を支えている様子は、大変申し訳無く思うと同時に、この事業にかける熱意を感じました。
資料館です。
実は、この資料館は、活魚問屋㈲〆印島長水産さんの敷地の一部に作られました。 以下、外川ミニ郷土資料館のホームページより一部を抜粋しました。
銚子市外川町、活魚問屋(有)〆印島長水産「島田政典」家では、平成18年6月に新居を建てるために旧居を解体することになった。その際、仏壇の裏から初代「長太郎」の葬儀の写真が出てきた。その写真を目にした3代目「俊雄」夫人「泰枝」は、4年前逝去した夫が常日頃、『我が家が現在商売できるのは町の人々のお陰だ。いつか恩返しをしなくちゃならない』といっていた言葉を思い出し、長男の4代目「政典」に相談した。「政典」は、かねてから40年前小学校時代の恩師であった郷土史研究家「永澤謹吾氏」と貝化石研究家「渡辺富夫氏」の膨大な資料を、世に出して恩返ししたいと考えていたので母子ともに意思合致。さらに、銚子電鉄の経営危機を支援して、外川駅まで観光客に乗車してもらうことも兼ねて開館することにした。
テーマ別に展示されています。左の和服は、漁師の晴れ着「万祝(まいわい)」です。
道具も多く展示されています。
樽の上の容器何か分かりますか?
漁師が弁当を詰めたわっぱ(弁当箱)だそうです。これには網を被せて使うというルールがあったそうです。船が転覆した際、この弁当箱を浮きとして使うための工夫なんだそうです。
軒に吊り下がっている鐘は、船の所在を示すために使われました。許可を得て鳴らしてみました。とても大きな透き通った音が出ます。
その他沢山の道具類。
貴重な品々ですが、棄てられてしまうことが多いそうです。
これ等の道具は、「日本人の道具」という本で紹介されています。(画像中央)
ふと見つけた一枚の絵。神社が描かれています。川口神社の絵です。
銚子の特に利根川川口は、近代に至るまで難所であり続け、多くの水難事故を引き起こしました。ちょうど川口神社のたもとに、その被害者が流れ着いたそうです。また、クジラの死骸も年に数回打ち上げられるそうです。
よし!次は川口神社にお詣りしましょう!
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