あねさきじんじゃ
御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方
姉埼神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2021年09月20日(月)
参拝:2020年9月吉日
姉埼神社(あねさき~)は、千葉県市原市にある神社。式内社で、旧社格は県社。主祭神は支那斗弁命(しなとべ)、配祀神は日本武尊、天児屋根命(あめのこやね)、塞三柱神(さえのみはしら)、大雀命(おおささき:仁徳天皇)。
『古事記』、『日本書紀』によると、日本武尊の東征の際、相模から海路上総に渡る時暴風雨に遭い、弟橘媛が海に身を投じて日本武尊の難を救った記事があるが、社伝によると日本武尊が弟橘媛をしのび、当地に風の神である支那斗弁命を祀ったのが創建としている。また、日本武尊の死後の景行天皇57年(127年)、日本武尊の父の景行天皇は日本武尊東征のゆかりの地を歴訪し、当社に日本武尊命を合祀した。その後成務天皇5年(135年)に上海上国造の忍立化多比命が天児屋根命と塞三柱神を合祀、履中天皇4年(403年)に忍立化多比命の孫の忍兼命が大雀命を合祀したとしている。当地周辺の姉崎一帯では大型前方後円墳を含む姉崎古墳群が分布しており、上海上国造の勢力の中心地であったと推測されている。
国史では、平安時代の877年に「姉前神」の神階奉授の記載、884年に神階昇叙の記載がある。927年に編纂された『延喜式神名帳』では、「上総国 海上郡 姉埼神社 小」と記載されている。なお、海上郡には式内社がもう1社「島穴(しまあな)神社」があるが、両社は深い関係にあり、長く神輿が往来していたとのこと。明治時代の近代社格制度では県社に列した。
当社は、当社は、JR内房線・姉ヶ崎駅の南東800mの丘陵地の森の中にある。境内は広々としていて、社殿や社務所も大きく、さすが旧県社といった風格がある。本来の境内入口は丘の麓にあるようなので、それなりの段数を登らないといけないところだが、自分は社殿と同じ高さにある駐車場に到着した。
今回は、上総国の式内社、千葉県の旧県社であることから参拝することに。参拝時は週末の午後、自分以外にも数人参拝者が訪れていた。
『古事記』、『日本書紀』によると、日本武尊の東征の際、相模から海路上総に渡る時暴風雨に遭い、弟橘媛が海に身を投じて日本武尊の難を救った記事があるが、社伝によると日本武尊が弟橘媛をしのび、当地に風の神である支那斗弁命を祀ったのが創建としている。また、日本武尊の死後の景行天皇57年(127年)、日本武尊の父の景行天皇は日本武尊東征のゆかりの地を歴訪し、当社に日本武尊命を合祀した。その後成務天皇5年(135年)に上海上国造の忍立化多比命が天児屋根命と塞三柱神を合祀、履中天皇4年(403年)に忍立化多比命の孫の忍兼命が大雀命を合祀したとしている。当地周辺の姉崎一帯では大型前方後円墳を含む姉崎古墳群が分布しており、上海上国造の勢力の中心地であったと推測されている。
国史では、平安時代の877年に「姉前神」の神階奉授の記載、884年に神階昇叙の記載がある。927年に編纂された『延喜式神名帳』では、「上総国 海上郡 姉埼神社 小」と記載されている。なお、海上郡には式内社がもう1社「島穴(しまあな)神社」があるが、両社は深い関係にあり、長く神輿が往来していたとのこと。明治時代の近代社格制度では県社に列した。
当社は、当社は、JR内房線・姉ヶ崎駅の南東800mの丘陵地の森の中にある。境内は広々としていて、社殿や社務所も大きく、さすが旧県社といった風格がある。本来の境内入口は丘の麓にあるようなので、それなりの段数を登らないといけないところだが、自分は社殿と同じ高さにある駐車場に到着した。
今回は、上総国の式内社、千葉県の旧県社であることから参拝することに。参拝時は週末の午後、自分以外にも数人参拝者が訪れていた。
駐車場から境内に向かうと、まず<鳥居>と<神門>。
こちらが<神門>。きれいで立派。神門の先には<手水舎>、写真左側には境内社<琴平神社>が見える。
神門をくぐったところ。かなり広々とした境内。 でも、何か変? 参道が社殿の正面に通じていない?
<社殿>全景。どう見ても、社殿の真横に出てしまったようで...(^_^;) 写真右側の黒い建物は別の建物で<参拝者待合所>。
社殿の正面に廻る。大きく立派な社殿。
社殿の正面から離れていくと、下から上がってくる階段を見付ける。どうやら表参道はこちらだったみたい。
気を取り直して、<鳥居>と<狛犬>。後で調べたら、こちらの鳥居は<三の鳥居>。また、<狛犬>は2対、<燈籠>も2対ある。
三の鳥居をくぐって参道を進むと、左側にある<手水舎>。当社では、手水舎の水は<御霊泉>と称している。
<拝殿>全景。手前に<茅の輪>。茅の輪は常設されているみたい。
<拝殿>正面。きれいにされていて華やか。
拝殿正面の<姉埼神社>の扁額。
三の鳥居まで戻って、鳥居の左側にある<神輿庫>。手前の2対目の<狛犬>は、江戸時代後期1809年のもの。
神輿庫の左側にある、<御嶽山>と書かれた扁額のかかる鳥居。
鳥居の背後には社殿が見当たらない? その代わりに<日本武尊の石碑>と<御社二号古墳の看板>があった。
参道の左側、手水舎の右奥にある<浅間神社>。富士山を模した山の頂に立つと、富士山登頂と同じ御利益があるとのこと。
拝殿に向かって、右斜め後ろにある<社務所>。御朱印はこちら。
社務所から見た<社殿>全景。<本殿>の屋根は一段高くなっている。何度見ても、大きく立派、派手さはないが威風堂々として美しい。
社殿の右手にある、鳥居付きの末社<天神社>。その左側の小さな社殿は、末社<厳島社>。
天神社の右手にある、末社<十五社>。
神門の近くにある<東照宮>。
駐車場はかなり広々としている。神門があるので、てっきりこちらが表参道だと思ったのに、裏参道だったとは...(^_^;)
すてき
投稿者のプロフィール
惣一郎1269投稿
ホトカミ見ました! で広がるご縁
ホトカミを見てお参りされた際は、もし話す機会があれば神主さんに、「ホトカミ見てお参りしました!」とお伝えください。
神主さんも、ホトカミを通じてお参りされる方がいるんだなぁと、ホトカミ無料公式登録して、情報を発信しようという気持ちになるかもしれませんし、
「ホトカミ見ました!」きっかけで豊かな会話が生まれたら、ホトカミ運営の私たちも嬉しいです。