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ちょうみょうじ|日蓮宗天受山

長妙寺の御朱印・御朱印帳
千葉県 八千代中央駅

御朱印について
限定
-
御朱印帳
あり
電話番号

047-483-1687

最新の御朱印・御朱印帳の投稿

malice
malice
2024年03月01日(金)
555投稿

国道296号線沿いにあり、目を引くのは『ぢの呪い』とゆう看板😂
この看板のせいでなかなかお参りに行けなかったのですが、こちらの長妙寺様には有名な『八百屋お七』のお墓があるのを知り行ってみました。

【八百屋お七】
お七は現在の八千代市に生まれ、江戸の本郷に店を開いた八百屋徳兵エに養子として迎えられました。器量のよい娘で、その名は日頃願をかけていた当山の七面様から一字をいただきました。

あるときその八百屋が火災に遭い、やむなく本郷の近くの寺、吉祥院に避難して家の再建を待ちました。そのとき、お七は寺小姓の吉三郎という好青年に恋心をいだき、八百屋が再建され店に戻ってもその恋心は募るばかりでした。

そして家が焼ければ再び寺に移れると思いこんだお七は、ついにわが家に火をつけ、それが大火となり江戸八百八町を焼失したともいわれています。

長妙寺の建物その他

国道296号線沿いにある目を引く看板

長妙寺の山門
長妙寺の山門

☆山門☆

古来より山門は三解脱門といわれ涅槃の本堂にいたる悟りの境地の入り口とされます。
旧来の山門は享保8年(1724年)に八世日成上人により造立された冠木門形式の山門でしたが、昭和43年頃に老朽化と境内整備のため取り壊しました。
新本堂の落成も無事にすますことができましたので、昭和63年、念願であった山門をここに再建しました。

長妙寺の山門
長妙寺の景色
長妙寺の手水

☆手水舎☆

長妙寺の手水
長妙寺の手水
長妙寺の本殿

☆御本堂☆
【縁起】
今を去ること約四百年前に建立されました。寛永3年1月18日(西暦1626年)のことです。

佐倉藩主、土井利勝は徳川四天王の一人として佐倉城主になると将軍家の一大事に備えて佐倉より行徳岸までの新道を開いたのが佐倉街道、またその名を成田街道と呼ばれた現在の国道296号線です。

それ以前は利根川印旛沼の水運を利用していたが成田街道が開通するに至り暫く陸路の交通が激しくなりそれに連れて江戸と成田の中間地、船橋や大和田の土地は途中の仮泊地として栄えていたことが、今なおその名残をとどめています。

この盛り行く街道の姿に着眼した信仰厚い、河野又衛門尉栄通公がここに一宇を建立しました。栄通公は日向の人で、その先祖は鎌倉時代かの元寇の役に登場する河野水軍の末裔です。

栄通公は、諸国見聞の途中、身延山久遠寺に詣でて日蓮聖人の霊跡参拝の案内を乞い、身延山より天受院日利上人が同道して全国各地の霊跡を巡り、安房清澄誕生寺を詣でてこの地に居を構え一堂を建立して、日利上人を迎えて開創されて、天受山長妙寺と称しました。

女人成仏の範を示されたことで有名な徳川家康の側室、御萬の方が下総の国飯高に開設された大講堂大檀林には全国より多くの人が集まりました。その人々の概ねは、江戸より成田街道を通って飯高に至る一泊二日の行程、その途中には広大な習志野の原(ウヌメガ原)の難所がありましたが、中間に位置する当山は格好の宿泊寺となり、一宿一飯の縁を結ばれた高僧碩徳は少なくありません。

長妙寺の本殿
長妙寺の建物その他

【御本尊】 一塔三宝両尊

宗祖七百遠忌並びに当山開山三百六十年を記念して、昭和61年に建立されました。

長妙寺の建物その他
長妙寺の建物その他

ちょこんと狛犬様が

長妙寺の建物その他
長妙寺の本殿
長妙寺の建物その他
長妙寺の末社

☆守護神堂☆

平成4年に新築された御堂です。
勧請する守護神は、国の守護神である三十番神、五穀豊穣と山門守護の稲荷大明神、学問の神様といわれる天神様をお祀りしています。

【長妙稲荷大明神縁起】
正式の名称は、最上位教王大菩薩といわれ岡山県にある日本三大稲荷の一つが本宮です。
当山二十九世日康上人が、昭和の初期に白狐が境内上空を何度も飛行する姿を見て、その不思議な現象を感じて当山守護の長妙稲荷大明神としてお祀りしています。

長妙寺の狛犬

☆お狐様☆

長妙寺の建物その他

☆扁額☆

長妙寺の本殿
長妙寺の像

☆日蓮聖人御幼僧像☆

当山三十一世慈心院日猷代により令和3年11月に建立

長妙寺の塔

☆悲母観世音菩薩☆

当山第三十世玄心院日雅上人により昭和五十三年四月に建立されたものです。
上人は現世の世相をかんがみ、人心が乱れ人命が軽んじられ特に性風俗の乱れは著しく、またそれによる様々な悲劇や事件も後を絶ちません。また、生活苦を逃れるために胎児を間引きするという非人道的な行為が当たり前のように行われています。これらの声なきものの声を聞きその体を変えて白石に六万九千三百八十四文字の法華経一部を謹写して宝塔に納め、その冥福を祈り参詣者各位の除災得幸を祈願しております。

長妙寺の像
長妙寺のお墓

☆八百屋お七のお墓☆

お七は天和三年(1683年)、鈴ヶ森の刑場で火つけの罪で火あぶりの極刑に処されました。実母はこれを悲しみ密かにお七の遺髪を受け取り、当山に運び、戒名を妙栄信女と授与され、墓も世を忍び小さな墓石を建て密かに埋葬されました。

長妙寺のお墓
長妙寺の建物その他
長妙寺の本殿
長妙寺のお墓

☆永代供養塔☆

長妙寺の仏像
長妙寺のお墓

☆ペット供養塔☆

長妙寺の仏像
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