ぐほうじ|日蓮宗
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楽しみ方弘法寺のお参りの記録一覧
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宝珠院を後にして一旦寺が建っている丘を下り、住宅街を抜けて緩やかな坂を登って行く。歩く事15、6分ほど、左手に墓地が広がるのを見ながら更に進みます。里見龍神堂(後述)の脇を抜けて左手に立つ赤門をくぐり、弘法寺の境内へ。真間山弘法寺(ままさん ぐほうじ)。日蓮宗。開祖は日頂聖人。
境内に入ってまず左手に立つ重厚な造りの本堂に参拝した後、さらに奥に進むとありました。お目当ての枝垂れ桜「伏姫桜」。推定樹齢400年以上。里見八犬伝の伏姫の名前が冠せられたもの。自分と同じく多くの人がスマホで撮影をしていました。この日ソメイヨシノはまだちらほら開花した程度でしたが、桜の春の到来を実感する事が出来ました。
日蓮聖人・日頂聖人をおまつりする祖師堂にもお参りし、鐘楼堂を見学した後、表玄関の仁王門ではなく再び赤門をくぐって外にでます。隣接する太刀大黒尊天堂、里見龍神堂にもお参り。この里見龍神堂、とある東北の住人が祀っていた里見の伏姫の精霊がこもった白蛇と小鳥二羽の枯骸を、御堂を建てて奉じたのが始まりとか。伏姫桜といい、里見にゆかりの深いこの地らしい伝説に彩られたお寺です。
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日蓮宗本山 由緒寺院。
奈良時代天平九年(737)、行基菩薩が里の娘、手児奈の霊を弔われ、一宇を建てて「求法寺(ぐほうじ)」と名づけたのが始まり。平安時代、弘仁十三年(822)に弘法大師が教えを弘められるためにおいでになられた時、求法寺を七堂伽藍に再建され、寺運を一新して、「求法寺」を「弘法寺」と改称された。さらにその後、天台宗に転じた。
その後、鎌倉時代に建治元年(1275)に、時の住持了性法印尊信と、中山法華経寺富木常忍公との間に問答があり、日蓮聖人は六老僧の伊予房日頂上人を対決させられた。
その結果、日頂上人が法論に勝たれたため、爾来、弘法寺は法華経の道場となり、日頂上人をしてご開山とすることとなった。
日蓮宗本山(12/57)


久しぶりに職場の方とお参りに行きました😊
真間稲荷神社様、手児奈霊神堂様とお参りをして弘法寺様へ…
昔、TVの怪奇特集番組で『涙石』とゆうのを観たことがあって、最近になりTVで観たのは弘法寺様だとわかり行ってきました。
怪奇特集番組と言っても弘法寺様は心霊系ではなく不思議系。場所がお寺様だから心霊系の番組でとりあげられていたのかも…
涙石は御本堂へ続く石段の石のひとつで、この石だけがずっと湿っていて苔むしています。

☆参道☆
涙石はこの石段の何処かに…みつけられるかな〜と登りはじめたらすぐにわかりました😆

☆涙石☆
下から数えて27段目の左側にある石だけが、なぜかずっと濡れた状態。この不思議な現象には次のような伝承が残されています。
江戸時代のはじめ、日光東照宮造営のため、作事方御大工頭であった鈴木修理長頼が伊豆より石材を市川に船で運び入れた際に、突然石が動かなくなってしまった。やむなく長頼はこの石材を弘法寺の石段に使ってしまった。ところがその不正が幕府の知るところとなり、長頼はこの弘法寺の石段の上で切腹して果てたという。その時の恨み辛みによってこの石は四六時中濡れたままであり、それ故に“涙石”と呼ばれるようになったという。

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