てこなれいじんどう
手児奈霊神堂のお参りの記録一覧
京成市川ママ駅で記念きっぷを購入し、手児奈霊神堂で限定御朱印いただきました。本山の
弘法寺でも同じ寺号印違いの御朱印いただけます。
京成市川ママ駅の記念きっぷ
手児奈霊神堂の限定御朱印
手児奈霊神堂の御首題
弘法寺の御首題
久しぶりに職場の方とお参りに行きました😊
弘法寺様へ行く途中にあるので先にお参りしました。
手児奈霊神堂様は弘法寺様の飛び地境内社になります
手児奈霊神堂様と同じ境内(地続き)に真間稲荷神社様もあります
【手児奈霊神堂の由来】
真間の手児奈伝説◇美しい里娘「手児奈」
むかしむかし、「手児奈」という美しい娘がいました。上品で満月のように輝いた顔は、都のどんなに着飾った姫よりも美しくみえました。その手児奈の噂は次々と伝えられて、ゆくゆくは国の役所にも広まっていったのです。そして、里の若者だけではなく、国の役人や都からの旅人までやってきて結婚を迫りました。そのために手児奈のことを思って病気をする者や、手児奈を取り合って醜い喧嘩まで起こすものもおりました。
それを見た手児奈は「私の心はいくらでも分けることができます。でも、私の体は一つしかありません。もし、私が誰かのお嫁さんになれば他の人達を不幸にしてしまうでしょう。」といいながらどうすればいいのか悩んでいました。悩みながら真間の入り江まで来たときに、ちょうど真っ赤な夕日が海に落ちようとしていました。
それを見て手児奈は「どうせ長くもない一生です。私さえいなければ喧嘩も無くなるでしょう。あの夕日のように、私も海に入ってしまいましょう。」とそのまま海へ入ってしまったのです。
おいかけてきた男たちは「私達が手児奈を苦しめてしまった。もっと手児奈の気持ちを考えてあげればよかった。」と落胆しましたがもうどうしようもありません。
翌日、浜に打ち上げられた手児奈の亡骸をかわいそうに思った里の者たちが手厚く葬りました。
同じ境内(地続き)で手児奈霊神堂様と真間稲荷神社様があります。
☆参道と御本堂☆
☆浄行菩薩☆
ここにお祀りされております石のお像は浄行菩薩と申され、水の徳を司どる菩薩さまです。
お題目を唱えながら浄行さまのお身体を洗い磨く事で、心身ともに清まると信仰されております。合掌。
南妙法蓮華経
真間山手児奈霊神堂
☆手水舎☆
☆御本堂☆
行基菩薩「手児奈」を供養する
時代はさかのぼり、奈良時代の天平9年(737年)行基菩薩(ぎょうきぼさつ)がこの地にお立ち寄りになられた時、手児奈の悲話をお聞きになり、いたくその心情を哀れに思い、「求法寺」を建立され、手厚く弔われました。
その後、平安時代の弘仁13年(822年)に弘法大師空海が教えを弘められるために求法寺へおいでになられ、境内を整備し、「求法寺」を「弘法寺」と改称されました。
さらに時代は進み、鎌倉時代の建治元年(1275年)の時、住職である了性法印尊信と地元の有力者富木常忍との間に問答が起こりました。富木常忍より連絡を受けた日蓮聖人は、伊予阿闍梨日頂聖人を遣わして法論をさせました。その結果、日頂聖人が勝たれ、以来弘法寺は真間の道場となりました。
地元の女神となる手児奈
また時代はさかのぼり、文亀元年(1501年)9月9日、当山第7世日与聖人の夢枕に「手児奈」が現れて「私は多くに人に供養していただきました。その御礼として今度は私が皆さんをご守護いたします。」といわれ、
「無事安産」・・・元気な赤ちゃんが安産で無事に生まれてきますように
「孝子受胎」・・・赤ちゃんがお腹に宿りますように
「健児育成」・・・生まれてきた子供が健やかに成長しますように
「良縁成就」・・・良いご縁がありますように
の4つの守護の誓いをたてられました。
それ以来、現在に至るまで真間の地を守護する神様として、多くの信仰を集めています。
歌川広重(名所江戸百景)の版画
「真間の紅葉 手古那の社 継はし」でも題材になっています。
句碑
ふるさとの 山静かなる 師走かな (吉田 冬葉)
万葉集
勝鹿の真間の井を見れば立つ平し水汲ましけむ 手児奈し思ほゆ
☆真間万葉顕彰碑(市指定重要有形文化財)☆
池の水を抜くで、約10年ぶりに見て、懐かしくなりお参りに行きました。
江戸川を挟んだ対岸の小岩に住んでいたので、子供の頃から何度も行ったことのある界隈で、
近所をブラブラしてきました。
わたしが子供の頃には、千葉テレビで千葉の郷土に関する昔話のアニメが有り手児奈が身を投げたこと、そこにお堂が建てられたことなどをやっていて来る度にそのアニメを思い出します。
御首題を頂こうとお堂を見ると、閉堂中の文字が…。書かれている電話にかけるも、どなたも出られないので、管理をされている近所の弘法寺さんへ行き、寺務所で伺うと、お昼休みがずれてしまったので、「今から行けば開いていますよ。」とのこと。、再び伺い無事に御首題を頂けました。
因みにこちらの霊堂では直書きしていただけたのですが、管理されている弘法寺では書き置きでした。
御朱印も頂けばよかった…。
1番印象的だったのは神主様です。
御朱印をお願いすると「力強く描きますか?それとも優しく書きますか?」と聞いて下さり、私は悩みに悩んで「力強くでお願いします」とお頼みました。
ゆっくり丁寧に書いて下さり、渡される際に「悩んでいたようでしたので、力強くもあり優しさも少し取り入れて見ました。少し曲がってしまってすみません」と。
その心遣いだけで心が暖かくなりました。
その後も御朱印帳を褒めて下さり、私が心身ともに弱いので恥ずかしながらカッコイイ御朱印帳を選んだことや御朱印を集めている話をしました。
神主様は私の御朱印に念を呟いて下さり、強さは中からですよ、と笑顔で返してくださいました。
とても暖かい気持ちで後にしました。
お参りしてその脇に中に入れるように階段があるので靴を脱いで中に入り、御朱印をいただきました
御朱印です
千葉県市川市の、唯一残っていると思える古い伝承は、「真間の手児奈」です。
竹取物語のかぐや姫に似て、地元の平民の娘・手児奈はその美貌ゆえに求婚する男たちが争い合います。
手児奈はそれを苦にして自殺、という悲劇の物語です。
それを供養する場所は、稲荷神社の隣なのか境内なのか分かりませんが、独立して拝殿や絵馬などもありますね。
イラスト
山部赤人が万葉に詠んでいます。
すぐそこには弘法寺の急階段が。地域のスポーツチーム(部活?)がトレーニングで駆け上がってます。
伝承のパネル
拝む際は、拍手はせず、南無妙法〜で唱えます
菩薩を磨いてあげると良いそう
最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。
ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ
1
0