ほけきょうじおくのいん|日蓮宗|正中山
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オフ会後にサポーターの皆様とお参りしました🙏本院から400mほどの距離にあります。
中山法華経寺発祥の地であり、初転法輪之霊跡ともいわれ、日蓮聖人が初めて説法をした場所として伝わっています。
もともとは下総国守護の千葉氏に仕えた「富木 常忍(ときじょうにん)」の館があった場所になります。
富木常忍は因幡国(鳥取県)富城郡の出身で、文官としての能力を買われて千葉氏に招かれ、下総八幡庄若宮に在住しました。建長5年(1253)ごろ日蓮聖人に帰依し、教義理解に優れ、聖人が最も重きを置いた有力檀越でした。
日蓮聖人が松葉ヶ谷の草庵で襲われた際には、こちらの館に身を寄せたといい、常忍は聖人のために法華堂を建立したといいます。他にも佐渡へ配流された聖人を援助したりとその活動を支えたといいます。
日蓮聖人入滅後、常忍は出家して「日常」と号し、法華堂を法華寺としました。後に中山の本妙寺と合併し法華経寺になったといいます。
この形の幣束は馴染みがなくて荒行堂にいた時から気になってました💦目的に応じて形が違うものを使うみたいで、白じゃなくて五色の色紙を使うこともあるみたいです🤔
法華経寺の寺紋として用いられるのは「太田桔梗」で、諸説ありますが法華経寺の本拠が太田乗明邸跡のため定めたものとされるそうです。他にも、もう1つの紋章として鬼子母神信仰から「柘榴」を。日蓮宗において伝統的に用いられる「井桁に橘」も使われています。
市川七福神の弁財天になります
弁財天は宇賀徳正神と裏表の関係で祭祀される…🤔
奥之院には、春と秋に身延の七面山の麓にある日朗雄滝(俗に雄滝という)の弁天堂に参詣する行事があり、この雄滝にならって境内に滝を造られたようです。
残念ながらこの日は水が止まっていました😢
日常上人像
日常上人のご霊廟になります。
歴史
鎌倉時代の中頃、下総国の守護千葉頼胤に仕えた富木常忍(ときじょうにん)は、八幡荘若宮と呼ばれたこの地に館を構え、幕府のある鎌倉との間を往復しました。そこで、たまたま布教に懸命だった日蓮と出会い、熱心な信者となったのです。
そうしたところから、文応元年(1260)日蓮は、鎌倉の松葉ヶ谷で焼討ちにあったとき、この常忍を頼って若宮に難を逃れました。この時、常忍は館の中に法華堂を建て、日蓮を迎えて説法を願いました。さらに日蓮は文永元年(1264)安房の小松原で東条景信に襲われた後も、若宮に身を寄せました。この若宮法華堂で開かれた日蓮の説法は、実に百回に及んだといわれます。この地が日蓮の「初転法輪の旧跡」とされるのは、この理由からです。このことで中山の太田乗明、曽谷の曽谷教信など、日蓮の信者になった人々は多く、また日蓮にまつわる数多くの伝承も残されています。
弘安5年(1282)日蓮の入滅後、常忍は出家して日常と号し、法華堂を改めて法華寺と称しました。この法華寺は後に中山の本妙寺と合体して法華経寺となり、日常を第一世とし、法華寺は奥之院と称されるようになりました。
いまでも土が高く盛られ、大樹の繁っている部分は、往時の館を取り囲む土塁の一部で、この館の後を「若宮館跡」と呼んでいます。
(境内掲示板より)
名称 | 法華経寺奥之院 |
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読み方 | ほけきょうじおくのいん |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 047-334-0221 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
詳細情報
山号 | 正中山 |
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宗旨・宗派 | 日蓮宗 |
ご由緒 | 鎌倉時代の中頃、下総国の守護千葉頼胤に仕えた富木常忍(ときじょうにん)は、八幡荘若宮と呼ばれたこの地に館を構え、幕府のある鎌倉との間を往復しました。そこで、たまたま布教に懸命だった日蓮と出会い、熱心な信者となったのです。
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