おおひじんじゃ
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意富比神社ではいただけません
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意富比神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2021年08月22日(日)
参拝:2020年8月吉日
意富比神社(おおひ~)は、千葉県船橋市にある神社。式内社で、旧社格は県社。通称「船橋大神宮」。祭神は天照大御神。
社伝によると、景行天皇40年、日本武尊の東征の折に、当地で東国平定の成就を祈願したことに始まる。当時、当地住民が日照りに苦しんでいたところ、日本武尊があわせて祈雨を念じると、雨が降り出したとも伝わる。当社には元々「意富比神(大日神)」が祀られ、周辺(現東京湾)の漁民に信仰されていた。国史の初見は『日本三代実録』で、863年に神階昇叙の記載がある。平安時代927年の『延喜式神名帳』に記載のある「下総国 葛飾郡 意富比神社 小」に比定されている。のちに周辺にあった神明社の天照大御神を当社に合祀したが、天照大御神への信仰の方が強くなり、次第に「意富比神社」の名称は忘れられ、戦国時代にはすでに「船橋明神」、「船橋大神宮」と呼ばれるようになっていたとのこと。中世には平将門、源頼朝、徳川家康などが社領の寄進や社殿の造営・改修を行った。なお、明治維新時の戊辰戦争に絡む船橋の戦いで社殿と古文書を焼失した。近代社格制度の下、県社に列したほか、明治天皇、大正天皇、昭和天皇などの歴代天皇も参拝に訪れている。
当社は、京成本線・大神宮下駅の北方200mの市街地にある。平地からなだらかに盛り上がった場所にあって、境内はかなり広々としている。社殿も大きいが、それに準ずるサイズの摂社・常盤神社(祭神は日本武尊、徳川家康公、徳川秀忠公)が東隣に鎮座している。
今回は、下総国の式内社、千葉県の旧県社ということで参拝することに。参拝時は週末の午後で、特別な日ではないが、境内にはぱらぱらと参拝者が訪れていた。
社伝によると、景行天皇40年、日本武尊の東征の折に、当地で東国平定の成就を祈願したことに始まる。当時、当地住民が日照りに苦しんでいたところ、日本武尊があわせて祈雨を念じると、雨が降り出したとも伝わる。当社には元々「意富比神(大日神)」が祀られ、周辺(現東京湾)の漁民に信仰されていた。国史の初見は『日本三代実録』で、863年に神階昇叙の記載がある。平安時代927年の『延喜式神名帳』に記載のある「下総国 葛飾郡 意富比神社 小」に比定されている。のちに周辺にあった神明社の天照大御神を当社に合祀したが、天照大御神への信仰の方が強くなり、次第に「意富比神社」の名称は忘れられ、戦国時代にはすでに「船橋明神」、「船橋大神宮」と呼ばれるようになっていたとのこと。中世には平将門、源頼朝、徳川家康などが社領の寄進や社殿の造営・改修を行った。なお、明治維新時の戊辰戦争に絡む船橋の戦いで社殿と古文書を焼失した。近代社格制度の下、県社に列したほか、明治天皇、大正天皇、昭和天皇などの歴代天皇も参拝に訪れている。
当社は、京成本線・大神宮下駅の北方200mの市街地にある。平地からなだらかに盛り上がった場所にあって、境内はかなり広々としている。社殿も大きいが、それに準ずるサイズの摂社・常盤神社(祭神は日本武尊、徳川家康公、徳川秀忠公)が東隣に鎮座している。
今回は、下総国の式内社、千葉県の旧県社ということで参拝することに。参拝時は週末の午後で、特別な日ではないが、境内にはぱらぱらと参拝者が訪れていた。
境内南端の<一の鳥居>。境内は広いが、南端入口の横幅は道に挟まれ広くはない。境内が南に尖っているイメージ。
鳥居後ろで見えにくい<社号標>。ずいぶんと年季が入っている。
真北に向かってまっすぐ伸びる参道。両側の木々が木陰を作っていて、歩いて心地が良い。
参道右側に立つ<日露戦役記念碑>と<征清紀念碑>。
参道の途中にある<二の鳥居>。
やがて<神門>が見えてくる。
参道右側にある<手水舎>。大きな神明造の屋根が立派。
参道突き当りが<神門>。神門奥の<社殿>は、1868年の戊辰戦争で焼失、その後1873年に本殿、1889年に拝殿を再建。
神門から<拝殿>を望む。参拝者はちらほらいたが、誰も神門の中に入らないので、入って良いかどうかは不明。結果、神門の中には入らず。
神門から左斜め後ろを向くと、<社務所>と<授与所>。御朱印はこちら。
社殿の左側に進むと、参道の左右に境内社群が現れる。
まず参道左側(西側)から。左から順に<水天宮>、<稲荷神社>、<秋葉神社・古峯神社>。
その右側に<八坂神社(船橋本町)・神輿奉安殿>と<八剱神社(船橋湊町)・神輿奉安殿>。近隣の神社の神輿自体が神社になっている。
その右側に<金刀比羅神社>。
その右側、左から順に<八幡神社>、<竈神社>、<龍神社>、<道祖神社>、<客人神社・多賀神社>。
参道の突き当り(境内北側)にある<船玉神社>。社殿下方に船の舳先がデザインされている。
社殿側(参道西側)に、<猿田彦神社>石碑(左)と<?神社>(墨字がほぼ消えてしまっている)。
その右側に<厳島神社・根神社>、<祈年穀神社・長岩姫神社>、<阿夫利神社・大山祇神社>、<事代主神社・大國主神社>、<水神神社・産霊神社>。
社殿右側に移動すると、<常盤神社>の門がある。他の境内社とは別格のようで、神域は本社と同じぐらいのサイズがある。日本武尊、徳川家康公、徳川秀忠公を祀る。
<常盤神社>の鳥居。
<常盤神社>の社号標(右)、唐門(中央)とその両側に伸びる透塀。
<常盤神社>の唐門全景。絢爛豪華な極彩色。
唐門から、<常盤神社>社殿を望む。
<常盤神社>の境内。塀の向こう側は<意富比神社>の社殿。
常盤神社の門の右側にある<大鳥神社>。
大鳥神社の後ろに回ると、かつて明治期までは東京湾からの目印になっていた常夜灯<灯明台(とうみょうだい)>が高い位置に見える。1868年の戊辰戦争で社殿とともに焼失、1880年再建。標高27mの丘の上にある和洋折衷の疑洋風建築。
境内東側にある<豊受姫神社(外宮)>の鳥居と社号標。
<外宮>の社殿。豊受姫大神を祀る。
外宮の右隣にある<八雲神社>の鳥居。
<八雲神社>の社殿。主祭神は須佐之男命、大己貴神と奇稲田姫命を配祀。
外宮、八雲神社の南側にある<神楽殿>。
駐車場の南側にある<土俵>。徳川家康公が船橋宿泊時に漁師の子供の相撲を供覧したのが始まりとのこと。
土俵近くに立っていた<古老木>。
二輪駐車場の周りには、のびのび育った松の木たち。かつての浜辺の雰囲気を醸し出している。
すてき
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惣一郎1269投稿
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